週末、ふらり魯迅公園へ

週末、ふらり魯迅公園へ

春到来! 心地よい日々がうれしい今こそ、週末の散歩に最適の季節。
その魅力的な行き先として、今回は虹口地区の「魯迅公園」をご紹介。
かつては、上海の日本人街もあったこの場所。その魅力とは?

朝の交流は 路上の書道から

 灰色のアスファルトの上に、透明な水で描かれた黒い文字が次々と浮かび上がる。腰を曲げて、黙々と美しい漢字を書き続けるのは、ジャージのズボンを穿いた初老の男。
 「もうかれこれ7、8年、路上で習字をやってるよ。毎朝1時間かけて、いつも同じこの342文字を書くんだ。これは中国の最も美しい文章のひとつなのさ」
 中国の公園は、重要な交流の場になっている。年代を問わず、多くの人が、合唱、ダンス、運動など、様々な目的で公園に集まってくる。日本ではあまり見られない風景だが、眺めていると「これぞ公園」という思いすらしてくる。
 特に、週末の賑わいは格別で、昔から変わらぬ中国らしい庶民の姿を見るには最適の場所。観光の穴場でもある。
 今回は、その中でも、歴史的に日本人とも縁が深い、虹口地区の「魯迅公園」を覗いてみた。
 場所は、地下鉄3号線「虹口足球場」を下りて徒歩10分ほど。近づいただけで歌声や話し声が聞こえてくる。敷地内に入れば、千人単位の人がいそうな、活気ある世界が広がっていた。

 路上の書道を続けながら、男は、ジョギングの最中のような爽やかさで話を続けた。
 「ああ、この人も書道をやるんだよ。98歳で、この公園で一番の長老なんだ!」
 男が、通りがかった老人を呼び寄せる。すると、それを機に周囲の人も立ち止まり、ワイワイと、賑やかな交流が始まった。
 ――週末の魯迅公園の、典型的な風景が幕を開ける。

咲き乱れる文化の展覧会


思わず引き寄せられる 日本語の歌声

 「日本人ですか? いらっしゃい、いらっしゃい! 一緒に一曲歌いましょう!」
 公園には、声を合わせて歌っている集団も多い。そこに日本語の歌を聞きつけて近づいてみると、50人ぐらいにいきなり拍手で迎えられてしまった。思わずマイクを握って「はーるを愛する人よー♪」と、言われるがままに歌ってしまう。
 彼らは日本語の歌が好きな人たちの集まり。中心にいる男性は、日本に18年間住み、新宿のクラブで10年以上も働いていたという人物だった。流暢な日本語でこう話す。
 「日本じゃ仕事でよく歌ってたから、好きなんですよカラオケ。セットも買って、週末にここで歌い始めたら、こんなに人が集まってくれて」
 魯迅は日本と縁の深い人物だが、その名がつけられた公園には、今でも日本に縁のある人たちがいるのである。

二胡から新疆ダンスまで 
公園は文化展覧会
 

 
 合唱する人々の他にも、太極拳、剣術、二胡、社交ダンス――。それぞれが数十人からのグループを作り、所狭しと活動に励んでいる。魯迅公園を歩けば、そんな文化展覧会のような眺めを楽しめる。
 その中をのんびり歩く男性に話を聞いた。近所に住む51歳の上海人男性だ。

 「休みには、朝7時からここを散歩しています。小さいころからずっと、この公園を利用してきましたし、息子が小さい頃にもよく連れてきたものですよ。その頃から、雰囲気は全然変わりませんね。……ほら、あそこでは新疆ウイグルの踊りをやってます。でも彼らは上海人なんですよ。40年前の農村への移住政策で、新疆へ行かされた人たちが、上海に戻ってから、こうして向こうの踊りを見せているんです」
 様々な人生が、魯迅公園で交差しているのだ。
 さて、賑わいの中心から離れ、公園の端の方に行くと、今度は木々の間から小鳥たちの鳴き声が聞こえてくる。

鳥籠との散歩 
昔ながらの時間が流れる


 
 公園の小道を歩くと、小さな林の中に、数十の鳥籠がぶら下がっている光景に出くわす。その周りでは、男たちが世間話をして時間をつぶしている。
 「毎日、鳥を鳴かせに公園に来るんだ。鳥にとっては、他の鳥と一緒に鳴くことは、人間と同じく大切な交流の時なんだ」
 日本ではあまり見かけないこの光景、実は「?鳥(リュウニャオ)」といって、鳥籠を持って散歩する中国独特の文化のひとつ。そして、鳥たちが交流する間、飼い主たちもまた交流しているのだ。

 魯迅公園では、こうした中国人の素朴で温かな姿に、たくさん出会うことができる。週末にふらりと出かけ、そんな様子を眺めれば、観光地からは感じられない、上海の素顔を感じることができるだろう。
 ただ、魯迅公園は早起きであることに注意しておこう。人々との豊かな交流を楽しみたいのなら、朝9時までには到着しておきたい。

観光ムードならここ 文化名人街を楽しむ

 魯迅公園の周りも是非歩いてみたい。虹口には租界時代の建物も多く、当時の雰囲気を楽しみながら散歩できるのだ。
 観光地としても知られるのが、魯迅公園から四川北路を5分ほど南に歩いた先にある、「多倫路文化名人街」。石造りの大きなゲートをくぐると、石畳とレンガの建物が続く、オシャレな通りが始まる。
 そこは、中国近代史の世界でもある。宋靄齢の夫・孔祥煕の家や、中国左翼作家聯盟成立の場となった建物――。通りの脇には、虹口に縁のある文化人の像が並ぶが、その中には、日中友好に尽くし、魯迅との深い親交でも知られる内山完造の姿もある。この地域がいかに日本人と縁深いかが想像できる。
 通りには、骨董品などを扱う土産屋や静かな茶館もあり、観光気分でのんびり散策できる。

虹口で生きた 
日本人の足跡を追う


 虹口には、吉行エイスケ、尾崎秀美、松本重治ら、著名な日本の文化人も多く暮らしていた。魯迅公園から徒歩5分、「山陰路」の界隈には、彼らの住んだ建物が当時のまま残り、ムードはまさに1920年代。魯迅故居もこの通り沿いだ。
 山陰路の南、四川北路沿いにある「余慶坊」には、詩人・金子光晴が住んでいた。訪れると、彼が描いた当時の世界を生きた老人たちが、にこやかに迎えてくれた。
 一帯には、過去を伝える建物は数多い。ふらりと出向けば、素敵な散歩が楽しめるはずだ。

      ≪魯迅公園≫
 魯迅公園は元来「虹口公園」といい、百年以上の歴史を持つ。1988年、この地に縁ある魯迅に因んで現名称となった。約22万平方メートルもの敷地には、魯迅紀念館、魯迅墓、梅園もある。
 その魯迅公園のある虹口地区は、通称「日本租界」と言われたほど、20世紀前半に日本人が多かったことで知られる。内山完造の内山書店があったのもこの一帯だ。
 虹口の日本人社会の中心地であった呉淞路から四川北路にかけての地区は、面影は薄くなっているとはいえ、ところどころに今もその痕跡が残っている。当時の建物の一部はまだあるし、屋根の瓦や和式の窓枠などに、ふいに日本が垣間見えることもあるはずだ。通りを歩く時は、そういった足跡探しも楽しい。
 散歩のお供には「上海歴史ガイドマップ」(大修館書店)がお薦め。驚くほど詳細に当時の様子が記されたこの本を片手に虹口を歩けば、新しい発見があることは間違いない。

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