アート空間「M50」へ①

変わり続けることがアートの本質なら、M50という空間はそれ自体が紛れもないアートだ。
100年の記憶を帯びた廃倉庫と、億単位に膨らんだアートビジネス市場の融合は、
世界最速で〝近代化〟する上海の体現でもある。
記録には残らない瞬間がそこにある。

Art Space M50

 変化が日常である上海では、数年で新しい商業地や観光スポットが生まれることも珍しくない。だが、それが全国的なカルチャーの発信地で、急成長した経済に投資先としての市場を与え得る場所となればひとつしかない。莫于山路50号にあるアートギャラリーの集中地、通称「M50」がそうだ。
 5年前、蘇州河のほとりにあるこの小さな通りには、打ち捨てられた古い工場があるだけだった。それは1930年代に河ぞいを埋め尽くした紡績工場のひとつだったが、現代画家の薛松氏の目には、最適な広さを備えたアトリエとして映った。薛松氏自身が「自宅の向かいに大きな倉庫があったので、そこで絵を描き始めただけ」と振り返るように、変化の始まりはある種の偶然だったのだ。

最新の現代アートギャラリー
(東廊芸術:6号楼5階)

 ちょうどその頃、台湾から来た建築士・登琨艶氏が、租界時代の古倉庫を改装利用してメディアの注目を集めていた。
そうした、古倉庫を保存・再利用する動きの一端を担うかのように、倉庫を利用する芸術仲間が増え、東廊芸術、香格納画廊といったギャラリーが敷地内に移転する。
そこが上海アートの拠点と呼ばれる頃には、莫于山路50号は市政府の管理対象となっていた。

伝統芸術の展示館
(振興書院:17号楼2階)

 2005年、上海市経済委員は同地区を「M50創意園」と命名、積極的に運営管理に乗り出す。
そして今そこには、80以上のギャラリーやアトリエがひしめき合っている。
M50企画部の周坤氏によれば、「日に数百人の来訪者のうち、多くは画廊オーナーやキュレーターなどの業界関係者で、6割が欧米人」だという。
 廃屋の大部分はすでに取り壊され、あるいは改装されて、敷地内の雰囲気はすっかり洗練された。
だが、歩けば遭遇する古びた壁や内装工事の音が、そこがまだ変化の途上にあることを感じさせる。
「最新アートに関わりたい奴は、みんなここに来るんだ」
M50に来て間もないという、小さなギャラリーで番をしていた青年は得意気に話す。
彼の目には、さらなる変化を遂げた数年後のM50の姿が映っているのだろう。

無作為の衝動はまだあるか?


 多くの文化的ムーブメントがそうであるように、M50を生んだ上海アートの大きな流れもまた、個人の些細な、そして魅力的な可能性を秘めた行動から始まった。

5年前、すでにドイツ、イギリス、アメリカなど海外でも作品展を開いていた現代画家の薛松氏が、莫于山路50号をアトリエとして使い始めたきっかけは、ただ自宅近くの古倉庫に理想的な大きさと静けさを見つけたことだった。

 「ここへ来た理由? 家賃が安くて、広かったからさ。もちろん初めてここに来た時は、アートに関するものは何もなかったし、誰もいなかったよ」
今も変わらずM50内に構えたアトリエの中で、薛松氏は何の気取りもなく話す。

 瞬く間にそこは上海アートの拠点となったが、それは氏の言葉を借りるなら、「無作為で、何の計画もなく、ごく自然のうちに」生まれたのだ。
最古参ギャラリーのひとつである香格納画廊のオーナーとして、その変化を間近に見てきたロレンツ・ヘルブリンク氏は、M50の特徴をこう説明する。

M50誕生のきっかけを担った薛松氏

 「ここは様々な点で特徴的なスペースだが、訪問者の目に映りにくいところに最も重要な特徴がある。

それは、世界中のギャラリ
ー――例えばパリのポンピドゥー・センター、NYの近代美術館、東京の森美術館、そしてヴェネツィア・ビエンナーレ――
に出展しても通用するほど優れたアーティストたちが、この小さなスペースに集まっているという事実だ。
彼らの創作と交流の場になることが、M50の重要な役割になっている」

 
 だが、アートには常に、もうひとつの側面がある。
端的に言えば、そこにビジネスが成立する以上、商業主義という不純物が入り込む可能性があるということだ。
自らの巨大な伝統絵画を展示する広いスペースを求めてM50に来たと言う張明楼氏はこう話す。

 「上海そのものと同じで、ここM50はそわそわと浮かれ過ぎているようだ。
アートビジネスが加熱していると言うが、本当に良い作品は市場にはないし、本当のアーティストはM50にはいない。
若手アーティストの多くは作品を売るためにここへ来たいと言うが、彼らにはその前に勉強すべきことが山ほどあるのではないか」

「H空間」オーナーでもあるロレンツ・ヘルブリンク氏

 こうした疑問の声は、M50が「創意産業集中区」として管理されるようになってから特に増えている。
去年には、M50で活動していた王益輝が自らM50の商業主義を批判する作品を発表して物議を醸した。
確かに、無作為に生まれ、アーティスト達の自然な交流の場だったM50が、ビジネスという大きな力によって急激にその姿を変えつつあることは誰もが認めるだろう。
しかし、薛松氏は、M50は今もなお刺激的だと見る。
そこにあるアートには、「大小」「新旧」そしてビジネスが作品に貼り付ける価値の「高低」にすら、制限がないからだ。

 「内外に大きな影響力を持ったアーティストの作品と同時に、安い大衆アート作品が並んでいる。
それが一番面白い。
良い作品もそうでない作品もあるが、重要なのは機会だ。
ここでは多くの人が、同時に、色んな種類の作品を観ることができる。それは良いことだろう」

 今この瞬間も、M50には新たなギャラリーが生まれ、そこで様々なアーティスト達が新たな作品を作っている。
無作為から生まれたこのアート空間が、今後どのような姿へと変貌するのか
――二度以上この地を訪れ、その変化を目の当たりにした人なら、考えずにはいられないはずだ。

現代アートの喧騒から一歩離れてM50を語る張明楼氏

~上海ジャピオン10月27日発行号より

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