日本人アーティストの、
中国進出へのゲートウェイ作りを
中国進出を夢見る日本のアーティストと
中国のファンとの間で、
黒子として頑張る本多真一郎さん。
上海随一のライブハウス「マオライブハウス」で、
日々音楽に携わる本多さんの挑戦とは――?
感動空間を創り上げる
「2002年に上海へ旅行で来た際に、
自分はここで働いているような気がした」
そう話を切り出した、本多さん。
日本人アーティストの中国進出へのゲートウェイ作りに、
07年から上海でコンサートプロモーターとして活躍する。
日本と違った文化習慣に加え、
法律や機材、予算などの関係で
アーティストのやりたいことが出来ないもどかしさ…。
幾度も困難にブチあたったというが、
「制限がある中で折り合いをつけてライブを行い、
アーティストのメッセージが観客に伝わって、
お金では測れない感動と喜びを味わう空間を創れた時、
やって本当に良かったと思います」と、
ついさっきライブイベントを終えたかのように
熱く語る様子からは、
〝諦め〟という弱気は微塵も感じられない。
MONGOL800の公演では、
熱狂的なファンがMAO Livehouseに大集合
舞台は国際都市・上海
本多さんが、
中国で日本の音楽のために一肌脱ごうと思ったのは、
音楽専門学校の先生をしていた時だ。
07年当時、日本の音楽市場は飽和状態。
日本の音楽を海外に広めることで、
日本音楽市場の拡大につながり、
音楽産業に還元できるのではないかと考えたという。
MBAを取得し、歳も区切りの30。
自力でやるなら今と、
その海外進出のゲートウェイ作り先として中国を選ぶ。
同じアジアで共感が得やすい。
そして、高校時代に漢文が割と好きだったことが
中国を選んだ理由だ。
群を抜く国際性と古き良き英仏の雰囲気を残す上海で、
挑戦を始めた。
通貨格差や法律など様々な面で、
中国での興行がペイしない可能性――
この厳しい現実を前に、多くの人から
「なぜ学校の先生という安定した職を
捨ててまで中国に行くんだ」と言われたという。
不安と共に始まった挑戦だったが、
不確定要素の高い状況の中で
やる仕事は挑戦し挑戦しがいがあり、
どんどん魅力を感じ、情熱が湧いてくるのだった。
夢のキーワードは〝つなぐ〟
「これまで色んな先輩と一緒に、
音楽の〝畑〟を耕して困難を取り除き、
やっと日本と同じような受け入れ体制ができてきました。
今後も日本のアーティストと中国のファンを繋ぎ、
音楽特有の感動をたくさん届ける――
私の人生は、その手助け一本にかけてます」
と力強く語る本多さん。
「やれるとこまで突っ走り、
最後はクラシックコンサートホールの
掃除のおじちゃんか何かで余生を送りたい(笑)」と、
最後に冗談めかす本多さんの挑戦はこれからも続く!
?~上海ジャピオン12月30日号