リバイバルブームに乗って
1935年に商標登録した上海スニーカーブランド「回力(warrior)」。
70~80年代には、学校の体育の時間でお馴染みの運動靴メーカーとしてその名を知られていたが、ナイキやアディダス、リーボックといった外国ブランドのスニーカーに席巻され、凋落の一途を辿っていた。しかし、80~90年代生まれの若い世代が、白のキャンバス地に赤いラインといったレトロな感じがオシャレだと注目したことで再びブレイク。海外のロックバンドがジャケット写真で着用したり、ハリウッドスターが愛用したりしていることが報道され、その人気は高まる一方。
また世界的デザイナーのマーク・ジェイコブスやカルバン・クラインなどが、そのデザインテイストを自分の作品に取り入れているんだそう。
武術シューズとして有名
feiyueは1932年、上海に誕生したブランドで、当時は一般市民から政治家、サッカー中国代表チームや少林寺の修行僧に至るまでが愛した国民的スニーカー。
2006年にフランス人デザイナー、パトリス氏の目に留まり、feiyueはフランスに渡る。パトリス氏が、在海中に趣味で武術教室に通っていた時に、ほかの生徒たちがこぞって白地に赤青ラインの〝カンフーシューズ〟を履いているのに気付き、それがこのfeiyueだったのだそう。フランスに渡ったfeiyueは、技術やデザインの改良を経て、よりオシャレになりヨーロッパを中心に人気を得ている。
靴と靴底を高圧釜で圧着させる〝バルカナイズ製法〟を採用し、履きやすく脱げにくい安心の履き心地も人気の理由の1つ。
世界一のスマホを目指す
華為は安さを売りにする携帯電話メーカーとして、サムスン、アップルと肩を並べるグローバルブランドに変貌を遂げ、今では世界3位のシェアを誇る。
発売当初は、その安さを売りにニッチ市場で顧客を獲得していたが、近年は高級スマホの展開と他分野の有名企業と手を組むことで、新たなマーケットポジションを確立。同社を代表するモデル「P9」に搭載するデュアルレンズの脇には、レンズ描写性能の高さで有名なドイツのカメラブランド「ライカ」の名が刻まれ、女性向けのスマートウォッチ「エレガント」と「ジュエル」モデルのデザインではスワロフスキーと協業している。
またサッカーのスター選手、リオネル・メッシがブランドアンバサダーに就任し、一気に欧州で浸透。5年以内に世界首位となるスマホブランドを目指す。
原点回帰でリスタート
彗星の如く現われたスマートフォンメーカーと思われがちな小米だが、前身は大手メーカーのスマートフォン向けカスタムROM開発を行う。スマホをより快適に使えるカスタムROMを作り続けていくうちに〝自分たちで端末を作ったほうがよいのでは?〟ということで登場したのが、同社のスマートフォン。
2011年に市場へ参入し、わずか5年で世界シェアトップに切り込んだ。ところが、15年に発売したモデルの本体デザインが今までのものより独自性に欠けたことなどから販売数は伸び悩み、同社の勢いを削いでしまった。しかし15年発売のモデル「Mi5」は、本来の〝他社よりもハイスペックで低価格〟というモットーに立ち戻って開発された製品で、中国だけでなく、世界中から再び大きな注目を集めている。
町工場から世界ブランドへ
海信、科龍、容声の3ブランドで商品展開を行い、冷蔵庫やテレビ、洗濯機などの家電製品から通信・情報機器など電化製品全般までを幅広く手掛ける。
前身は、1969年創業の「青島無線電二廠」。社員僅か10人で、主力商品であるトランジスタラジオの生産に特化していた。この小さな町工場が飛躍したきっかけは70年、山東省初となるブラウン管テレビの生産と、78年にカラーテレビの製造の開始だった。
テレビ以外の電化製品の生産をスタートさせた94年頃から、国際市場でのシェア獲得、拡大に乗り出し始め、世界市場での知名度を上げていく。現在はアメリカ、ヨーロッパ、アフリカ、中東、東南アジアの各国にオフィスを構え、世界130カ国以上の国と地域で商品を販売している。
国際化に成功した海爾
1999年、アメリカの労働力コストが中国の10倍であるにもかかわらず、海爾は敢えてアメリカに工場を設け、売上高僅か3000万ドルから、たった3年で2億5000万ドルまで拡大、海爾ブランドの名を世界に轟かせた。
2000年に海爾と日本の家電メーカー三洋電機は、合弁会社「三洋ハイアール」を設立。三洋の部品・製品を海爾に供与すると同時に、海爾の冷蔵庫や洗濯機を日本市場で販売するなどの業務提携を行った。08年には欧州の冷蔵庫メーカーを買収し、イタリア式3ドア冷蔵庫で中高級市場に参入。欧州以外の国では、製造販売や現地企業を代理店としてアフターサービス業務を委託するなど海外進出を果たす。これにより現在、世界65カ国に5万以上の販売拠点や取次店、サービス店を持つ。
アメリカでバカウケ
中国漢方の痔の軟膏剤「馬応龍痔瘡膏」が、最近米国で大きな話題となり、ユーザーから高評価を得ている。
医師である馬応龍の処方で作った痔の漢方軟膏剤。米通販サイトのネットユーザー1000人以上が、最高5ポイント中、4・3と高得点を付け、〝ピンクのアイスクリームを塗ったかのようで、気持ちよさが長続きする〟や、〝腸の悪魔を制圧するために、椅子の上でもぞもぞしなくてもいい…これはまさに奇跡。世界の人にこの存在を知ってもらわなければ〟など称賛コメントが相次いでいる。
値段を見ると、米通販サイトで11・78ドル(約78元)で販売されている一方、中国ではわずか16・9元だ。痔、切れ痔などのほかに、口唇ヘルペスや日光皮膚炎の緩和にも役立つことが広まり、更に需要が高まっている。
中国の贅沢な輸入品
日本で数年前、ラー油の概念を覆した「食べるラー油」がブームを巻き起こしたが、老干媽は中国版「食べるラー油」。中国での販売価格が10元なのに対し、米国では11・99ドル(約80元)と比較的高価な商品になっていることから〝中国からの贅沢な輸入品〟として海外で人気を博している。
貴州省貴陽市在住の主婦が、夫に先立たれ、2人の子どもを育てるためにその辺りのレンガで家を建て、食堂を開店。そこで使っていた自家製ラー油が話題になり、1996年にラー油製造販売会社を設立。会社はたった15年で年商13億元(約160億円)にまで成長している。
様々な種類がある老干媽だが、中でも豆鼓(トウチ)入りが、深みのある味と程よい辛さ、香ばしさが堪らないと人気だ。
~上海ジャピオン2016年09月16日号