ダジャレに冷風
私は考える男マートン。
今日は、哲学散歩がてら、
衡山路にある広東料理店へ
食事に来ている。
うむ、このエビの串焼き、
たまらんな。
もう1皿追加で…
おや?
隣の席の2人、
何やらおかしいぞ…
ふむ。
上司がつまらぬダジャレを
連発し、それに対して部下は
つれなく、冷ややかな
雰囲気に包まれている。
…私の方がいたたまれなく
なってきた。
小部屋(トイレ)へ避難しよう。
広東鍋の哲学とは
ユニークだな。
洗面ボールに、両手持ちの
広東中華鍋「鑊(ウォック)」を
使用している。
鑊の漢字は、日本では釜ゆで刑に
使う釜を指すものだが…
そう言えば「鑊湯(かくとう)に
冷処なし」という禅語もあったな。
沸騰する釜の湯は、
どこも冷たいところがなく熱い。
つまり、いつ、どこででも
全力で物事にあたれ、
という教えである。
なるほどな。
手洗いは、罪を清める隠喩と
考えられる。
手洗いボールに鑊を使うことで、
一生懸命更生に力を注げ、
と主張しているのか。
罪=嫌がられる行為とも言えるので、
先程の上司の場合、
適当な思いつきではなく、
全力でひねり出した本気ダジャレを
披露すれば、部下の目も
変わるだろう。
よし、早速この哲学を伝えねば。
ありがとう、
いい小部屋(トイレ)であった。
~上海ジャピオン2012年12月14日号