じれるマートン
私は考える男マートン。
現在、哲学散歩の合間に、
自然派カフェで休んでいるところだ。
うむ、うまいコーヒーである。
隣の席にはカップル…いや、これは付き合う直前か。
しかしこの男性、かなりシャイだな。
緊張のあまり、相手の顔も見られていない。
あぁ、じれったい!
何かアドバイスを…
よし、小部屋(トイレ)で考えよう。
チョークと鏡の哲学
扉には、男女を示すサインがチョークで描かれている。
その対面の壁には一面に鏡が貼られ、
永遠に交わらない鏡像が広がる。
…ふむ。
これは、身体や思想といった、
相互理解の難しい「男女の差」を表すのだろう。
となると、サインのチョークの意味は…。
ふむ。
チョークと扉の組み合わせからは、
童話『オオカミと7匹の子ヤギ』で、
オオカミが子ヤギに扉を開けさせようとして、
チョークを食べた場面が連想される。
実はこの「チョーク」は、翻訳時の誤訳説が…
そうか!
この組み合わせを、男女差を示す空間に配置することで、
その考えは誤りだと主張しているのだな。
人は男女である前に、同じ〝人間〟である、という哲学か。
彼には鏡とチョークを渡し、同じ人間同士、
緊張は不要と教えてやろう。
ありがとう、いい小部屋(トイレ)であった。
~上海ジャピオン2013年3月15日号