電光石火の情報伝達
王定六(おうていろく)
ゆかりの地 安徽省淮南市
あだ名 活閃婆
職業 情報収集
宿星 地劣星
江蘇省南京市出身。長江河岸で居酒屋を営んでいたが、梁山泊水軍頭領・張順(ちょうじゅん)を助けたことが縁で入塞する。持ち前の駿足と泳ぎの能力を買われ、情報収集役を任される。最期は、方臘の戦いで敵の毒矢を受け、死亡。
張順の危機を救う
陸を走り、河を泳ぐ
王定六は、建康府(現江蘇省南京市)付近の長江河岸で、居酒屋を営んでいた。幼少の頃から武道に親しみ、泳ぎにも長けていたほか、稲妻の如く走る駿足の持ち主でもあった。その速さは、稲妻の神を表す「活閃婆(かつせんば)」の名で呼ばれるほどだったという。
古寿州窯跡。唐代の陶器の生産地であったとされ、1960年の発掘以降、多くの遺構が発見されている
ある日、王定六の居酒屋に、全身ずぶ濡れの男が助けを求めてやって来る。男は梁山泊水軍の張順(ちょうじゅん)。話を聞くと、彼は重病を患った宋江のため、名医で知られる安道全(あんどうせん)を探すべく、渡し船で建康府に向かっていたところ、船頭に有り金を奪われ川に突き落とされたのだという。張順がかの梁山泊の好漢だと知った王定六は、衣服と金を与えて介抱する。その後、張順は安道全を無事に探し出し、梁山泊に戻った。また、張順を襲った船頭は、王定六の店によく通う客の1人で、王定六にはおおよその見当がついていた。王定六は早速、船着場に向かおうとする張順に会いに行き、犯人を教えた。王定六と張順はともに変装し、犯人が漕ぐ船に乗りこむと、船が沖まで進んだところで、船頭を押さえ込んで川に落とした。張順の素早い身のこなしに感嘆した王定六は、山塞の仲間入りを懇願。張順も恩義に応え、王定六を連れて帰ることにした。
入山後は俊足を活かし、山塞の情報伝達の拠点、北山酒店の経営を任される。梁山泊には、同じ駿足の戴宗(たいそう)がおり、速さでは敵わなかったが、王定六はまた泳ぎの能力を活かし、情報伝達に貢献した。
八公山。前漢時代の学者・劉安がこの地で豆腐を発明したとされる。標高241m
王定六が王慶討伐戦で戦った地、安徽省淮南市。淮河の両岸を跨ぐこの地は、豆腐の発明者・劉安(りゅうあん)の故郷として知られる。情報収集に奔走した王定六は、この地の野山を駆け、川を泳いだことだろう。
【アクセス】
①上海浦東空港から空路にて合肥新橋空港まで約1時間
②上海虹橋駅から淮南東駅まで、高速列車で約3時間半、2等席236元
~上海ジャピオン2014年3月14日号