食道をゆく 第61回 宮門献魚

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ゴンメンシェンユー
宮門献魚
~浙江省舟山市~

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サクッと揚げた両側の間に、さっぱりとした白身が挟まれている宮門献魚

皇帝が命名した魚料理
片田舎の料理が宮廷料理に

 宮門献魚は、清朝の宮廷料理。
淡水魚の桂魚(ケツギョ)を使用し、まずは頭と尾を切り分けて、先に揚げる。
そして、身を片栗粉と卵白でつくったペーストに入れて揚げた後、最後に葱や生姜などを添えて完成だ。
実はこの料理、元々はただの民間料理であった――。
 1670年、江南を視察していた清の第4代皇帝・康熙帝は、
今の浙江省舟山市という所にある「宮門嶺」という山の小さな食堂に入った。
康熙帝は魚料理を注文し、出された料理を食すと、あまりの美味しさに興味をもった。
そこで店員に料理名を聞くと、「腹花魚」だという。
 少し俗っぽい名前だと感じた康熙帝は、自分が名づけてもよいか提案し、紙に筆で「宮門献魚」と書いた。
さらに自身の名である「玄燁(げんよう)」とサインしたが、字に疎い店員は、
彼が康熙帝だと分からず、その字を壁に掛けておいた。

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同じ舟山諸島の1つの朱家尖の十里金砂。レジャー、避暑地として知られる

 その後、省の都督がこの字を見て驚愕。
店員に、この字は皇帝の直筆だと教えると、店員は字の前に跪いた。
そして、皇帝が食べ、命名した料理として、たちまち地元で有名になり、店は大繁盛。
やがて都にも伝わり、皇帝が食した料理として、清朝の宮廷料理に入れられた。
 清朝が滅んだ後は、宮廷厨房で仕えていた料理人たちが四方に散らばり、各自で店を営んだ。
そこでもこの料理が民衆に絶賛され、「宮門献魚」の名で、再び庶民の料理として親しまれるようになったのだ。
 グルメ家でもあった康熙帝は各地の料理を食べていたようだが、このような例は稀であろう。
皇帝もうなった高貴な魚料理を味わいたい。

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【アクセス】
上海虹橋空港から舟山普陀山空港まで飛行機で約50分

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~上海ジャピオン4月29日号

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