水滸巡礼~108の足跡~宣贊(せんさん)

美しき武技を持つ醜男
宣贊(せんさん)

ゆかりの地 江蘇省蘇州市
あだ名 醜郡馬
職業 軍人
宿星 地傑星

『水滸伝』に登場する架空の人物。
元は官軍の近衛兵として朝廷に仕え、
鋼刀と呼ばれる刀や弓の扱いに長じた。
優れた人格者で、
官軍の時から関勝の副官を務め、
武勇も人並み外れた英傑であったが、
容姿の醜さから疎まれることも多かった。

醜さゆえの悲運な人生
神の矢をも凌いだ武人
宣贊は、
大地にその名を轟かす英傑の星
「地傑星」の生まれ変わりとされる。
作中では、
梁山泊五虎将の1人、
関勝(かんしょう)の副官として活躍した。

現在の飲馬橋付近。
蘇州市の中心部に位置する。
改修が繰り返され、
基となった橋は残っていない

官軍に属していた宣贊はある日、
異国の将との弓比べに勝つ。
その功績により、
郡王(王に継ぐ位)に婿入りすることに。
しかし妻は、
鍋底のような顔、
天を向いた鼻の穴、
雷のように縮れた髪に赤ヒゲという
宣贊の醜さに耐え切れず卒倒し、
初夜に自殺。
この件が災いして、
宣贊は閑職に追いやられてしまい、
「醜郡馬(郡王の醜い娘婿)」
と呼ばれるようになる。
そんな彼に転機が訪れる。
宋政府が梁山泊軍に包囲され、
官軍の将であった
関勝の副官を務めるよう命じられたのだった。
そして
梁山泊の神箭将軍と恐れられた弓の名手、
花栄(かえい)と対決する。
宣贊は花栄の射た3本の矢を、
1本目は剣で払い、
2本目はかわし、
3本目は背当てで防いだ。
宋江は宣贊の武技に感服し、
関勝と共に梁山泊に入山させる。
入山後も関勝の片腕として活躍した宣贊は、
1120年の「方臘(ほうろう)の乱」の最中、
敵と相打ちになり、
軍人としての最期を遂げた。

蘇州市を代表する庭園、
留園。
園内の花石綱(名木、奇石)は、
物語にもしばしば登場する

「方臘の乱」は、
実際に江南地方で起こった反乱だが、
宣贊は蘇州市の飲馬橋に倒れたことになっている。
舞台となった蘇州は、
世界遺産の留園や拙政園など、
多くの庭園を有する。
当時も今と変わらない、
美しき水の都として有名だ。
梁山泊の騎馬隊隊長として忠義を尽くし、
蘇州に散った宣贊。
彼が最後に見た蘇州の水は、
遠い梁山湖を思い出させたのだろうか。

アクセス
上海駅から蘇州駅まで、
高速列車で約25分、
2等席40元、1等席60元

~上海ジャピオン2012年9月14日号

最新号のデジタル版はこちらから




PAGE TOP