春節は上海博物館へ!①

春節に味わう上海博物館


春節を上海で過ごすあなたに、上海博物館の1日観光をご提案。
博物館なんて地味……と思っても、とりあえずご一読あれ!
館内に眠る魅惑の物語の一部をご紹介します。

呉の王・夫差の水瓶


水瓶に映し出された 
男と女の野望と素顔


 呉の国の王・夫差(ふさ)は、水瓶の水面に映った自分の顔を見ながらニヤリと笑った。おれはすべてを手に入れたのだ、と。
 それから数刻の後……。夫差が愛した絶世の美女・西施(せいし)が、同じ水瓶の縁に手をおいた。その水面に映るのは、決して夫差には見せぬ策士としての素顔。夫差を騙し続ける強い意志を確認したあと、彼女は水面をかき混ぜ、その顔が形を失うのを見届けてから、再び夫差を愛する美女に戻った――。
 今から2500年ほど前、中国は春秋戦国時代。呉と越の二国は熾烈な戦いを繰り広げた。まず最初に勝利を収めた呉の王を夫差といった。夫差は、越の王・勾践(こうせん)を殺さず許すが、そのとき勾践が夫差に献上したのが、絶世の美女・西施である。中国四大美女のひとりと言われる西施に、夫差は夢中になる。だが、彼女こそ越のスパイではなかったか、と論じる研究家もある。
 夫差は、この水瓶の水で顔を洗い、沐浴したほか、水面に顔を映し、鏡のように用いることもあったという。越を破り、西施を手に入れて得意の絶頂にいた夫差の顔は、透き通る水の中で自信に満ち溢れていたに違いない。
 だが、その後、呉は越に破れる。夫差は捕らえられ、処刑された。そこに西施の働きがあったとしても、彼女は正体を暴かれずに仕事を完遂したことになる。が、この水瓶にだけは彼女の本当の顔が映っていたはずだ。
 水瓶のふたつの取っ手の間で、2匹の龍が水面を覗いている。まるで本当に水を欲しがるかのように縁を掴み、背を曲げているものの、2500年もの間、彼らは水を飲むことはできていない。しかしその代わり、その瞳にはこの水面に映されたいくつもの真実が焼きついているに違いない。

写真:「呉王夫差鑑(呉の王・夫差の水瓶)」 
     春秋晩期(前6世紀前半~前476年)・伝河南輝県出土
     細かく精巧な、周囲の模様も見どころ。吸い込まれそうな、薄暗い水瓶の底を覗いてみよう。

【中国古代青銅器館】
1階に位置し、本博物館のメインをなす展示館のひとつ。
中国の最も古い夏・商・周の三つの王朝にわたって
約2000年続いた中国青銅時代の作品が展示されている。
酒器、兵器、食器、水器、楽器、とその種類も多様。

歳月を越えて伝わる物語


唐代女性の彫刻


唐美人の陰に浮かぶ 
阿倍仲麻呂の淡き思い


 8世紀の長安。阿倍仲麻呂(あべの・なかまろ)が朱雀門を抜けると、ひとりの美女とすれ違う。日本の美女を彷彿とさせる彼女に向かって仲麻呂は、思わず目を留め、声をかける――。
 遣唐使として唐に渡り、結局日本に戻ることなく生涯を唐の国で過ごした阿倍仲麻呂。彼には謎が多い。そのひとつ――果たして彼は結婚していたのかどうか。
 唐の時代、女性の地位は比較的高く、社会生活も活発だった。顔は丸くふくよかで、髪は高く結い上げる。そして自信と明るさに満ちている。それがこの時代の美しい女性の典型であった。その姿がこの女性像に表れている。
 そんな唐の女性に、仲麻呂は多数出会ったに違いない。彼の、唐の女性に対する思いはいかなるものだったのだろうか。どことなく日本的な雰囲気の漂う彼女たちは、仲麻呂に母国への思いを強めさせたのか、それとも日本を忘れさせるだけの奥深い魅力を備えていたのか……。もはや、その答えは知りようもないが、この像を見ると、そんな想像が思わず頭を駆け巡る。

 
【中国古代彫刻館】
 640平米の展示館に120余の彫像が静かに並ぶ。
戦国時代から明代まで2000年以上にわたる間の作品があり、
時代ごとの作品の特色も分かる。
インドから仏教が伝来して以来の仏像が特に充実している。

  
写真:陶仕女彩絵俑(唐代女性の彫塑)唐朝(618年~907年)
    凛々しく、明るい表情が特徴的。
    多くの仏像が並ぶなか、ひとり、きりりと立っているのが印象深い。

翡翠の容器


美を極めた黄色の翡翠に 
権力の絶頂と衰亡を見る


 「お気に召していただけましたでしょうか」
 職人が顔を下げたまま恐る恐る尋ねると、乾隆帝はしばらく何も言わずにただじっと目の前の容器を見つめていた。
そしてつぶやいた。
 「完璧だ……」
 世にも珍しい黄色い翡翠で出来たこの作品に見入る乾隆帝の様子に、職人は思わず会心の笑みを浮かべた。そして顔を上げて、ふと帝の顔を覗き見ると、彼が自分以上の恍惚さで容器を見つめていることに気がついた――。
 18世紀、乾隆帝の治世の下で、清は絶頂期を迎えた。乾隆帝は、モンゴル、朝鮮、ヴェトナムといった地域を侵攻し勝利を収めるなど、対外遠征に力を入れることで領土を拡大し、清の最盛期を築いた。
 その飽くなき欲望は美の追求にも向かっていく。そして宮廷の職人たちは、帝に喜んでもらえる作品を作り上げるために、それぞれ最高の素材と技術を競いあった。
この作品が献上された瞬間こそ、まさに清の絶頂期だったのかも知れない。しかしそれは同時に、その後に訪れる清の衰退へつながる瞬間であったことも間違いなかった。

写真:三?紋觚(清朝・乾隆帝に贈られた翡翠の容器)清乾隆(1736年~1795年)
    200年以上の時を経てなお、今まさに完成したような輝きがある

【中国古代玉器館】
玉器とは、翡翠をはじめとした美しい鉱物による工芸品のこと。
中国では、古代から権力や富のシンボルとされてきた。
同館では、装飾品から実用品まで様々な玉器が展示され、
中国の美意識の歴史が垣間見られる。

~上海ジャピオン2月16日発行号より

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