最古の教科書『千字文』
教科書を見る前に、
まず、
中国の古代~近代にかけての、
児童向け教科書の歴史・変遷を紐解いてみたい。
古代、児童の教育の際に使われていた教科書として、
真っ先に挙がるのは、
『三字経』、『百家姓』、『千字文』の3冊で、
俗に〝三百千〟と呼ばれる。
中でも『千字文』は、古代の教育史上最も古く、
最も成功した教科書の1つとされている。
『千字文』は、
6世紀の南朝・梁に仕えた、
文章家・周興嗣が作成したもので、
その名の通り、
1000の異なった漢字を使った漢文の長詩だ。
4字を1句とした韻文のため、
子どもの朗読に適し、
学校からは1年中子どもたちが
『千字文』を大声で朗読する声が聞こえてきたという。
日本の寺子屋でも利用
一方、『三字経』は、
13世紀・南宋の王応麟の編と伝えられる字書で、
児童の識字用教科書として使われていた。
「人之初、性本善(人は本来善である)」に始まり、
3字1句のフレーズが全編に連なっている。
内容は歴史から天文、地理、道徳、
さらには民間の伝承にまで及び、
日本でも江戸時代には寺子屋での教材として利用された。
また、『百家姓』は、
中国人の名字を集めた書籍で、
北宋時代に成立。
名字を読みやすいように並べているため、
暗記しやすく、
児童が名字の由来を知る良いきっかけとなった。
この〝三百千〟を使って、
漢字1000字以上を1年半の短期間で学び終えると、
次は、儒教の経書の中で特に重要とされる、
『論語』や『大学』、『易経』などの
「四書五経」を学ぶ。
児童は、
封建政治思想と儒学の倫理原則を学ぶのだった。
上海で近代的教科書登場
清朝末期になると、
西洋の影響を受けた、
近代的な児童向け教科書が上海に登場する。
1897年に、
上海交通大学の前身である南洋公学が発行した『蒙学課本』だ。
同校の「外院」は、
中国で一番古い公立小学校と言われ、
この教科書を用いて、
地理歴史、算数、物理、図画など、
新たな学問の教授が行われた。
さらに1903年には、
上海文明書局が『蒙学教科書』シリーズを創刊。
中国史や世界史、地理に天文、科学、
生物、体操、珠算、書画など、
20種類以上の項目の教科書を作り、
特に従来不足しがちだった、
児童の自然科学や数学への興味と知識の向上に役立った。
挿絵が多くリズミカル
続いて12年に中華民国が成立すると、
初等小学校では、
「国文(国語)」、「修身(道徳)」、
「算術(算数)」、「遊戯(遊び)」、
「体操(体育)」が必修科目となり、
上海商務印書館が『共和国教科書』を発行。
22年までに約8000万冊を売り上げ、
各地の小学校で使用された。
その後、
上海開明書店が32年に出版した
小学校低学年用教科書『開明国語課本』は、
初版から40回以上増刷されるロングセラーとなる。
著名な漫画家によるユーモラスな挿絵が多く、
また文章がリズミカルな点が、
古代の教科書〝三百千〟を彷彿とさせる。
では、堅苦しい話はここまでにして、
実際に小学生用の教科書を見ていくことにしよう。
中国の小学校では、
日本の「理科」に当たる科目は、
「自然」と呼ばれている。
「自然」の授業では、
ありとあらゆる自然界に住む動植物や、
自然現象などについて勉強していく。
好奇心高める奇怪な植物
『共和国教科書』では、
全編白黒で印刷されているが、
その中でひと際目立つカラーのページがある。
そこには花と果物、鳥類の挿絵が入っている。
花は桃や菊、果物はバナナや柿、ブドウ、
鳥類は、孔雀やオウム、キジなど、
日本人にも馴染みのある生物たちが
カラフルなイラストで紹介される。
残念ながら、カラスだけはやはり黒一色なのだが…。
動植物の紹介は、
カラーページ以外でも、
詳細な説明が行われ、
特に注目に値するのは、
奇異植物という項目。
触るとおじぎするように葉を閉じるオジギソウと、
蚊やハエを食べる食虫植物・モウセンゴケを取り上げ、
児童の好奇心をくすぐり、
自然に対する興味を高めようとする努力が伺える。
民国時代にも、食虫植物を
夏休みの自由研究のテーマとした児童が
いたかもしれないと思うと、
何やら親しみが沸くというものだ。
度肝を抜く巨大な昆虫画
現在の上海の小学校2年生が使う
「自然」の教科書では、
ヒマワリやクモといった身近な動植物を主に解説している。
ただ、
B5サイズの教科書の1ページに、
ミミズやダンゴムシ、
はたまたハサミムシなどの
キョン中の巨大なイラストと写真が、
ドン!
と掲載されているのには度肝を抜かれる。
写真のグロテスクさにショックで悲鳴を上げ、
トラウマになって夜も眠れない児童もいるのではないかと、
少し心配になるが、
ワラジムシの出産やミミズの卵胞が孵化する様子など、
普段は見ることのできない、
生物の詳しい生態を知るという意味では、
これもアリなのかもしれない。
体育はスポーツや遊戯など各種運動を通じて、
心身の健やかな成長を目的とする教科だ。
民国時代であれ現代であれ、
その目的は変わらないようで、
教科書には、様々なスポーツが紹介されている。
玉入れのシビアなルール
『共和国教科書・新国文』には、
徒競走や縄跳びなど
5つ以上の体育関係の項目が掲載され、
日本でも運動会で行われる、
大縄跳びや「玉入れ(籠球)」を紹介する。
玉入れのイラストでは、
球が全く散乱していないため、
1人1個しか球を投げられないルールのようだが、
適当にボールを投げる児童や、
慎重にじっくりと狙いを定める児童が描かれ、
それぞれ性格の違いが見て取れるのも面白い。
ほかには、
「紙鳶」すなわち、
凧に関する授業もあったようで、
蝶々や鳥のほか、
ナマズやムカデの格好をした
変わり種の凧のイラストがなかなかユーモラスだ。
羽根蹴りや武術も学ぶ
現代の3年生の教科書を見ると、
表紙には運動場で児童が
元気よく遊んでいる様子が描かれている。
よく見るとグランドは土ではなく、
陸上競技場のように整備され、
中国の小学校の運動場の様子を窺い知れる(3P右参照)。
中を見ると、跳び箱や棒登り、鉄棒など、
かつて小学生時代に習った運動がイラスト付きで解説され、
懐かしい気分になること間違いない。
その一方で、
現代的なキックボードや、
日本ではなかなかお目にかかれないスポーツもチラホラ。
サッカーのリフティングの要領で、
数人が輪になって羽根を蹴る
中国伝統スポーツ「羽根蹴り(踢毽)」や、
中国武術・カンフーの型は、その最たるものだ。
基本動作からして
非常にアクロバティックな様子が見受けられ、
ハードな授業が想像される。
日本でも中国でも、以前、
「修身」という科目があったが、
今は名を変え、
日本では「道徳」、
中国では「思想品徳」と呼ばれる。
国情や社会習慣に適合した道徳的心情を育て、
判断力や実践意欲を持たせることを目的とする。
働いたら勝ちor負け
『共和国教科書・新修身』では、
早寝早起きといった良い生活習慣や、
年長者を敬うといった礼儀のほか、
有名な故事を通じて得られる教訓を学ぶ。
故事は中国のみならず、
コロンブスやワシントンといった、
外国のエピソードも登場している。
そんな中、職業という項目では、
現代の失業者が聞いたら卒倒するようなことを述べる。
「猫が鼠を捕まえ、犬は門を守る。
それぞれ司ることがある。
人が無職ならば、犬猫にも劣るのだ」と。
現代でも通用する内容は多いが、
この言葉に限っては、ワーキングプア層が急増し、
「働いたら負け」の社会になりつつある今の日本では、
響きにくいかもしれない。
ほかに、『イソップ物語』に収録されている
「ウサギとカメ」の寓話もイラスト付きで紹介され、
この教訓が世界共通なのだということを改めて感じられる。
カッコウの教訓に学べ
上海にて「思想品徳」科目でよく使われるのは、
『品徳と社会』という教科書。
低学年では、生活モラルを中心に学ぶ。
現代の教科書でも、
寓話を通じて道徳的教訓を学ぶという手法がとられ、
日本ではあまり馴染みのない
「田植えを催促するカッコウ(布谷鳥)」
という民話が載っている。
「ある農民が、春に種蒔きをせず遊んで過ごし、
秋に収穫できず餓死した。
その後、農民はカッコウになり、
春になると遊んでいる人々に、
『種蒔け種蒔け(播谷播谷)』と注意するのだった」
古来、寓話は教育に必要不可欠な道具なのである。
日本の教科「国語」は、
中国では「語文」と呼ばれ、
言語表現の理解や言語による
表現方法の獲得などを目的として行われる。
ちなみに、現代中国の小学生は、
100首以上の漢詩を暗記させられるという。
奇抜な話にワクワク
『開明国語課本』では、
児童の生活に関するものや、
社会に出る際に役立つ知識などを掲載している。
中の文章の多くは短編で、
単純な上、歯切れも良く、
現代においても、
外国人の中国語学習用の教材として役立つこと必至だ。
文章を読んでみると、
子どもにありがちな会話もあり、
思わずほのぼのとしてしまうこともしばしば。
例えば、猫の名字についての子ども2人の会話で、
1人が、猫が「小白」と呼ばれているから、
〝小〟が名字だと勘違いし、
もう1人が、それは名前だと偉そうに否定するも、
その子も結局名字を知らないと言う。
こうしたやりとりは、今でもよく聞かれる会話だ。
ほかにも、
中国版『ガリバー旅行記』たる、
中国古典小説『鏡花縁』を下敷きにしたであろう
物語も目を引く。
船乗りの男が遭難して、
「小人の国」に行くというもので、
その国の住人はもちろん、
牛や馬、草や木など、
何もかもが小さいという奇想天外な話に、
児童も楽しく勉強したことだろう。
折り紙を折り詠う歌
現代の教科書でも、
身近な遊びや動植物をテーマに、
ピンイン付きの文章を取り上げる。
「折り紙の歌」という詩では、韻が踏まれ、
折り紙を折る様子がリズムよく詠まれている。
また、実際に折り鶴の作り方も掲載し、
遊びの要素を入れつつ学ぶ仕組みが出来ている。
~上海ジャピオン2012年6月22日号