荒くれ三兄弟の次兄
阮小五(げんしょうご)
ゆかりの地 福建省泉州市
あだ名 短命二郎
職業 水軍副頭領
宿星 天罪星
山東省菏沢市巨野県出身。
地元で漁業を営んでいた三兄弟の次兄。
後に梁山泊の軍師となる呉用らと出会い、入山。
その後は水軍の要として、兄弟とともに、
地の利を計算し尽くした戦法で多くの活躍を見せる。
最期は、方臘の戦いで無念の戦死を遂げた。
水上で暴れる放蕩息子
命をかけた偽装工作
阮小五は、梁山泊に近い石碣村(せっけつそん)の漁師で、
兄の阮小二(げんしょうじ)、
弟の阮小七(げんしょうしち)を合わせた阮三兄弟の次兄。
兄弟の中でも最たるやさぐれ者、無類の博打好きで、
金のない時は母親のかんざしを質に入れて打つほどであった。
胸に豹の刺青があり、
鉄の棒のようなたくましい腕をしていたという。
そして、阮小五に出会った者は命を短くするという意の
「短命二郎」なるあだ名を持ち、街を闊歩していた。
崇武古城は明朝を代表する城塞のひとつで、
倭寇(わこう)の侵入を防ぐために建てられた
兄弟たちは、梁山泊軍師、呉用(ごよう)の計らいで入山。
水軍に籍を置いた彼らは、梁山泊最大の戦である、
方臘の戦いで活躍を見せた。
敵の本拠地、清渓県(せいけいけん、現福建省泉州市)の戦で、
阮小五は同じ水軍の李俊(りしゅん)らとともに、
兵糧を積んだ船で敵城に向かい、
投降と見せかけて城内に侵入。
この作戦で敵を撹乱させ、機を見て
城外から攻撃を始めた梁山泊軍に呼応して、放火した。
これが決め手となり、清渓県を見事攻略。
しかし、梁山泊が勝利に歓喜していたその時、
阮小五は敵に討たれ、城内に横たわっていたのだった。
命がけの偽装工作を成功させ、勝利に導いた豪傑の死を、
宋江たちは大いに悲しんだ。
泉州市北部の郊外に位置する清源山。
写真の老君造像(老子像)は、
中国で現存する最大の道教石刻像
阮小五が倒れた福建省泉州市。
かつて「海のシルクロード」の起点として知られたこの地は、
海上交易の中心として栄えた。
中国を訪れたマルコ・ポーロも、泉州の繁栄を、
著書『東方見聞録』に記録している。
最後まで水軍で奮闘した阮小五。
今日も泉州市の海運発展を、
静かに見守っていることだろう。
【アクセス】
①上海虹橋/浦東空港から空路にて
泉州晋江空港まで約1時間半
②上海虹橋駅から泉州駅まで、
高速列車で約8時間、2等席309元
~上海ジャピオン2013年3月29日号