黒構えの水の将
単廷珪(ぜんていけい)
ゆかりの地 山西省運城市永済市
あだ名 聖水将
職業 騎馬軍将校
宿星 地奇星
山西省永済市出身。入山前は凌州(現山東省徳州市凌県)の軍人で、梁山泊五虎大将の1人、関勝(かんしょう)と面識があった。対梁山泊戦で関勝と戦い敗北したが、彼の義に感服したことを機に入山。その後は魏定国(ぎていこく)と騎馬軍で活躍した。
猛将・関勝との一騎打ち
2将軍の怒涛の攻め
単廷珪はもと凌州(現山東省徳州市凌県)の将校。黒い鎧に黒柄の槍、そして黒馬に騎乗し、同じく黒尽くめの兵を率いていたことで有名であった。戦で水攻めの兵法を得意としていたことから、「聖水将(せいすいしょう)」と呼ばれていた。
永済市南東部に位置する五老峰。江西省廬山、福建省アモイ市の五老峰と並び、中国3五老峰の1つに数えられる
ある日、単廷珪は宋の宰相・蔡京(さいけい)から、顔なじみの魏定国とともに梁山泊の討伐を命じられる。かつて討伐軍を率いていた呼延灼(こえんしゃく)や関勝(かんしょう)ら官軍の将が敗れ、入山したことに宋軍は憤慨し、彼ら2人に討伐を命じたのだ。そこで2人は、梁山泊軍が攻めてきたところを迎え撃ち、緒戦で関勝の副将、宣賛(せんさん)と郝思文(かくしぶん)を生け捕りにし、勝利を得た。自ら攻めてきた関勝と単廷珪との一騎打ちとなったが、さすがに三国時代の猛将・関羽(かんう)の末裔と謳われた関勝の刃に太刀打ちできず、身体を突かれて落馬。もうこれまでかと覚悟を決めた単廷珪だったが、何と関勝は倒れた彼を抱き起こし、無礼を働いたことを詫びた。その態度に単廷珪は大いに感服。関勝の誘いに乗り、入山すうこととなった。
その後は、遅れて入山した魏定国と阿吽の呼吸を見せ、ともに騎馬隊を指揮。曽頭市攻めや東昌府攻略戦で大いに活躍し、戦の最前線で戦ったが、最期は方臘の戦いで敵の罠にはまり、魏定国とともに戦死した。物語では、常に2人で戦う彼らの勇猛な姿が描かれている。
鸛雀楼は永済市西部に位置する。周代に建立。かつて鸛(コウノトリ)がこの建物の上に留まったことに由来
単廷珪の故郷、山西省永済市。同省南西部に位置するこの地は、かつて舜(しゅん)の帝都があったとされ、市内にはそれにまつわる史跡が多い。市を東西に走る黄河は、まるで聖水将と呼ばれた単廷珪の水攻めのごとく、今日も激しく流れている。
【アクセス】
①上海浦東空港から空路にて運城関公空港まで約2時間半
②運城駅から永済駅まで、快速列車で約40分、硬座7元
~上海ジャピオン2014年2月21日号