海を渡った水軍の要
李俊(りしゅん)
ゆかりの地 安徽省合肥市
あだ名 混江龍
職業 水軍頭領
宿星 天寿星
安徽省合肥市出身。揚子江の船頭であると同時に、付近を取り仕切る地元の顔役でもあった。兼ねてより宋江を尊敬しており、彼の窮地を救ったことがきっかけで入山。その後は水軍を統括し、数々の戦に参加したが、方臘の戦い後に梁山泊を離脱し、異国に旅立った。
長江を支配する龍神
梁山泊を離れて異国王に
李俊は、安徽省合肥市出身の船頭。長江付近の掲陽嶺(けいようれい)を取り仕切っていた。水泳の達人で、敵の船底に穴を空け、浸水させて壊滅状態に持ち込むことを得意とした。その様子から、揚子江をかき回す龍を表す「混江龍(こんこうりゅう)」の名で呼ばれた。
三河古鎮は、合肥の外れに位置する水郷。豊楽河、杭埠河、小南河の3つの河が街中を流れるので、こう呼ばれる
ある日、好漢として有名な宋江が妾を殺した罪で逮捕され、流刑先の江州へ向かう途中で、掲陽嶺を通った。すると李俊は彼に会って盛大にもてなし、見送ったが、しばらくすると江州にいた宋江が、あらぬ罪を着せられ、処刑されることに。これを知った李俊は仲間の船乗りを連れて救出へ向かった。そして見事宋江を船に乗せて江州から脱出させることに成功。李俊は、これを機に憧れていた梁山泊に加わることにした。
入山後は水軍を組織。官軍が山塞を攻めてきた時は、水中から夜襲をかけ、敵将を捕縛するなどの活躍を見せた。水軍元帥としてすべての戦いに参加し、生け捕った敵将は数知れない。
その間もずっと宋江を慕ってきた李俊だったが、梁山泊の朝廷入りがきっかけで意見が対立。梁山泊は朝廷に利用されているだけだから離れよう、と宋江に苦言を呈したが聞き入れてもらえず、離山を決意。仲間を連れて海を渡り、辿り着いたのはシャムという国。その後シャム国王となり、自由気ままに暮らしたという。
李俊が生まれた安徽省合肥市。同省の省都であるこの地は、長江と淮河の間に位置する。『三国志』に登場する名将・周瑜(しゅうゆ)、北宋末期の名官吏・包拯(ほうじょう)の出身地でもあり、彼らにまつわる多くの名所旧跡を有する。
逍遥津。三国時代、魏の名将・張遼(ちょうりょう)が「合肥の戦い」で、呉軍と戦った場所。安徽十景の1つとされる
河を上って、海を渡り、異国の王になった李俊。その後は龍神となり、遠くからこの地をずっと見守っていることだろう。
【アクセス】
①上海浦東/虹橋空港から空路にて合肥料新橋空港まで約1時間
②上海虹橋駅から合肥駅まで、高速列車で約2時間半、2等席195元
~上海ジャピオン2014年6月6日号