当時の夢:アジアで一番有名な日本人になりたい
撮影場所:インフォプラントの昔の本社(※寝袋で仮眠中)
夢の結果:現在進行中
撮影場所:現在のオフィスのデスク
寝袋を持ち込んでオフィスの片隅で丸くなって睡眠をとる。会社の事業転換に伴いオフィスに寝泊りを続けた繁田奈歩さんの当時の夢は、「アジアで一番有名な日本人になりたい」。
「スタッフ全員で徹夜モードになって事業計画を作成していたころの写真です。自宅へ帰るのは週に1、2回程度だったと記憶しています」。
24歳は、2度目の留年に5年間続けたインドでの事業の失敗が重なった年でもあった。お金もない。かといって大手の企業に就職する気も無かった。「このままいくと、ニートになっていました(笑)」。
そんな時、メールマガジンで知り合った現社長から転機となる電話を受けた。「新中野のオフィスにきてくれ」。内容は、メイン業務をこれまでのメディア制作事業から、インターネットを使ったマーケティングリサーチ事業へ転換するから手伝ってほしいということだった。
アルバイトからのスタート。会社で卒業論文を書き、週に5日は会社に泊まる。当時の上司からは「一年間黙ってオレの奴隷になれ!」。そんな生活を約1年間続けた。
「たしか電話を受けた時はお茶の水にいたと思います。そのまま新中野に着いたときは、帰りの電車賃さえも底を尽いていて。『どうしてアルバイトなのにそんなに頑張るの?』と聞かれましたが、当時は、ここにいれば食事とお酒、タバコにはありつけました(笑)」
そんな表向きの理由の裏には、インドでの事業失敗のリベンジマッチという思いもあった。当時の自分に足りないと感じていた実務スキル。「だったらやってやろう!」。1年後には、タイムマネジメント力も上がり、自然と自分の時間をもてるまでに成長していた。
入社して3年後の02年には取締役に、04年にはインフォプラントチャイナの総経理に就任した。紆余曲折を経てあっという間に過ぎたジェットコースターのような7年。アルバイトからスタートした20代の取締役、そのサクセスストーリーは会社の広告塔にもなった。
「入社当時は、この会社にずっといるとは考えていませんでした。会社に残ったのは、初期状態のベンチャー企業にある、『ある程度自由に仕事を進めることが出来る環境と、それが自分のスキルを伸ばす最大の近道である』という理由からではないでしょうか。その時から、どこかのタイミングで再度海外に打って出る。そして、その際には、決定権を持つ責任あるポストに立つ、という考えはありました」
現在は、インターネットを中心とした中国でのマーケティング業務の推進と、インフォプラント本社の中国、アセアンなどを中心としたアジア展開の推進に邁進する毎日。
06年は、自分と会社にとって「勝負と次への展開の年」となる。パワフルにアジアを駆ける繁田さんの夢「アジアで1番有名な日本人になる」は現在進行中だ!
<プロフィール>
繁田奈歩
㈱インフォプラントチャイナ董事総経理
30歳
愛知県出身。
~上海ジャピオン2006年1月6日発行号より