国慶節は旅に出よう!-前編-

 悠久の東西交易路・シルクロード。炎熱の砂漠、嵐の海。過酷な道のりを乗り越え商人たちが運んだものは、絹や宝飾品など豪奢な品だけではない。文化や宗教も彼らを通じて東西へと運ばれたのだ。シルクロードの通り道には、今も彼らの功績が息づいている。
 編集部では、その通り道にある街をピックアップ。そこにあった物語とは――

砂漠の中の青き国

サマルカンド

 

 青き街を、交易の喧騒が埋める。目の細き商人が言う「これは東の国より運ばれた極上の絹だ」。彫り深き商人も言う「こっちは西の国よりもたらされた貴重な宝石だ」。街のあちこちで商談の声が上がる。バザールにはパンの焼ける香りが漂い、隊商宿の前では客引きの声が木霊する。ここは、中央アジアの文化交差路・サマルカンド。
 その礎を築いたのは、ティムール王朝の創始者・ティムール王。動乱の続く中、優れた指導者として徐々に頭角をあらわした彼は、中央アジアを牛耳る一大王国を築く。ティムールは決めた。ここに、「青の国」を建国しようと。サマルカンド・ブルーの輝く「青の国」の物語は、ここから始まった――。 

 2001年、世界文化遺産に登録されたサマルカンド。「青の国」と呼ばれるその所以は、ステップ気候から地中海性気候へと移行する途中に見られる抜けるような青い空、そしてティムール王朝時代に建設された青色の屋根や外壁を持つイスラム建築群に由来する。
 武人ながら、都市の経済的重要性を良く理解したティムールは、国内外から当代最高水準の技術者らを呼び集め、13世紀にチンギス・ハンによって破壊されたアフラシャブの丘の南に新たな街を築いた。モスク、学校、バザール…こうして賑わい始めたサマルカンドは14世紀に再び、シルクロードの重要な拠点としての役割を担うようになる。
 その中心となったのは、街のシンボル・レギスタン広場。広場を囲むようにして、巨大なメドレセ(神学校)がコの字形に立ち並ぶ。真っ青な頂を冠したティラカリ・メドレセ。複雑な幾何学模様が濃淡様々な青色のタイルで彩られたウルグベク・メドレセ。煌くばかりの黄金装飾が施されたシェルドル・メドレセ。砂漠の中に建設された青き都市は、当代の貿易商人たちの憧れだったに違いない。
 繁栄を極めたティムール王朝。しかしその栄華は再び過去のものとなる。18世紀、既に別王朝の支配のもとにあったサマルカンドは、近郊勢力の侵攻を受け街は再び荒廃。美しかった青き装飾ははがれ、崩れるものもあった。そして、21世紀かつての輝きを取り戻し始めた街を、目にすることができる。

 今、サマルカンドは街をあげて誇りの修復に取り組んでいる。悠久の都・サマルカンド。今も廃墟のままとなっているアフラシャブの丘より、南を臨む。そこには、青く輝くサマルカンドの街が広がっていた――。


概要・アクセス
サマルカンドは中央アジアの国・ウズベキスタンの第2都市。首都タシケントに続く規模で、青で統一された建築物の美しさと、気候的に抜けるような青い空から「青の国」と呼ばれる。上海からは北京を経由して首都タシュケントへ。北京―タシュケント間は片道約6時間、往復約6000元。タシュケントからサマルカンドへは、乗合タクシーで約6時間半。

文化遺産と芸術の宝庫

敦 煌

 


薄明かりの石窟の中、画工たちは絢爛たる浄土の世界を思いながら、黙々と菩薩の衣に西域伝来の文様を描き込んだ。「なんと美しく、無限の慈悲にあふれた神々の姿だろう」。西からやって来た僧侶たちは、初めて見る菩薩像に驚きながら深い祈りを捧げる。ここはシルクロードを辿ってきた仏教美術が一堂に会している砂漠の中の大画廊、敦煌・莫高窟――。

敦煌は紀元前西漢時代から、シルクロードの交通の中枢として栄えた。同時に、西域からの侵攻を防ぐ関所であり、重要な軍事拠点でもあった。莫高窟は、4世紀に開窟されて以来、人々の篤い信仰心を集め、千年もの間造営され続けた。全長1700㍍に及ぶ壁には、無数の仏の姿や経典の物語が鮮やかに描かれ、静かに佇む仏像は、今もなお力強さに満ちている。

異教徒による破壊や、自然の浸食に幾度もさらされながら、仏教伝来の各時代のありさまを克明に留める――。貴重な遺産の数々は人々を驚嘆させ続ける。

お勧めスポット
 世界的に有名な莫高窟千仏洞のほか、シルクロードで最も美しい砂丘が連なるといわれる鳴沙山、砂丘の中央に位置しながら、千年以上も枯れたことのない神秘のオアシス月牙泉など、訪れた人々を魅了し続ける。また、古代シルクロードの軍事通商の要衝であった陽関、異民族との西域攻防の地であった玉門関など、歴史的遺産の宝庫である。


概要・アクセス
敦煌はかつてシルクロードの分岐点として栄え、東西文化交流の中心地でもあったオアシス都市。北京から西へ2000km、甘粛省北西部にある。1987年、世界文化遺産に登録され、市内には名所旧跡が多数点在している。上海から敦煌までは直行便で行くことが可能。片道5時間半、往復約5000元。

アジア最果ての地

イスタンブル

 


 数十頭ものラクダからなるそのキャラバンは、ただひたすら西を目指して進んでいた。中国を発ってから、一体どのくらいになるのだろう。食料はもうすぐ底を付きそうだ。すると、先頭の1人が言った。「見えてきたぞ!」。彼の目に映っているその地こそ、アジア最果ての地イスタンブル――。

 ボスポラス海峡を隔ててアジアとヨーロッパに広がるイスタンブルは、1600年にも及んで4つの帝国の首都に君臨したトルコ最大の都市。
 別名、文明の発祥地とも呼ばれるこの土地では、世にも稀な美しい街並みを目にすることができる。それは、ローマ建築、ビザンティン建築、オスマン建築など、各地の工学・技術の粋を集めて作り上げられた建築物の数々。ボスポラス海峡を挟んでヨーロッパ側にあるその地域は、1985年、イスタンブル歴史地域として世界文化遺産にも登録された。

 これら歴史建築物の数々は、人々のたゆまない修復と維持によって今日も麗しい姿を称えてイスタンブルに佇んでいる。

お勧めスポット
アヤソフィアのあるボスポラス海峡のヨーロッパ側のエリアは、1985年にイスタンブル歴史地域として世界遺産に登録された。世界有数の大きさを誇る86カラットのダイヤモンドを展示しているトプカプ宮殿も同地区に建っている。トプカプ宮殿もまた、博物館として開放されている。


概要・アクセス
首都アンカラを押さえ、文化や経済の中心であるトルコ共和国最大の都市。アジア側をアナトリア半島、ヨーロッパ側をトラキア地方と呼ぶ。ちなみに、イスタンブルと上海市は姉妹都市。上海からは、イスタンブルのヨーロッパ側にあるアタテュルク国際空港へ。片道約9時間、往復約1万元。

海のシルクロードの要衝

マラッカ



 インドの綿織物を積んだ木造船を突然のスコールが襲う。急いで帆を下げ始める船員たち。その動きを目で追いながら、船長が激を飛ばす。「周囲の見張りも怠るなよ!」。そう、この瞬間にはもう1つの恐ろしい敵が潜んでいる。海賊だ。船員の1人が叫ぶ。「北西から不審船が!」。「総員戦闘に備えろ!」―――。
海の幅が狭まり浅瀬の続くマラッカ海峡。運航スピードを落とさざるを得ないこの地域で、貿易品を積んだ船はしばしば海賊たちの標的となった。だが、それでも人々は東西から貿易品を運び続けた。海の要衝・マラッカを目指して。

 15世紀中頃から17世紀中頃まで続いた大航海時代。その最大の貿易港が、ヨーロッパの影響を今も色濃く残すマレーシアの古都・マラッカだ。
マラッカが繁栄を迎えるのは、中国・明の3代皇帝・永楽帝が王朝隆盛のために、積極的な海洋交易に乗り出した頃。信頼できる港が必要だった明は、それまで小国で周囲の国に貿易の売り上げをせびられていたマラッカと、手を組むことを宣言。強力な後ろ盾を手に入れたマラッカはここから成長を始める。
港の利用税や通商交易に課税するシステムを導入。マラッカ国王は港を見下ろす丘に王宮を建設するまでに発展する。さらに、明はマラッカに中国の海外拠点を築き、多くの中国人移民をここに住まわせた。
だが、繁栄を続けるマラッカに転機が訪れる。明が自国の産業発展のためにとった海禁政策の強化の影響でマラッカの後ろ盾をやめてしまったのだ。
 そして1511年、マラッカの抜群の地理と富を求めたポルトガルは、マラッカを武力で占領してしまう。その後もマラッカは、ヨーロッパ諸国の覇権争いの舞台となり、オランダ・イギリスと統治国の代わる植民地時代が続いた。その都度、列強が次々と各国の文化を持ち込んだため、それらが複雑に混ざり合い、現在の重層的な歴史遺産や街並みが生まれた。
歴史上マラッカが繋いだのは物品だけではない。宣教師ザビエルは、マラッカでの滞在の後、日本への布教の旅に出た。また、東南アジアに対するイスラム教普及の拠点にもなった。
まさに海の交差点として、様々な東西文化を同時に飲み込んできたマラッカ。街並は1989年に「歴史の都市」として市政の承認を受け、2008年にはユネスコの世界遺産に登録されている。




概要・アクセス
マラッカはマレー半島西海岸南部に位置する都市。次々と統治国の変わる植民地時代の影響から各国文化が交じりあった独特の街並みが残る。2008年にはその街並みが世界遺産に登録された。上海からはまずは首都クアラルンプールへ行き(片道5時間15分、往復約3000元。)、そこから長距離バスで2~3時間程度。

万国建築博覧

コロンス島

 


 すべるような肌触りと、雅やかな艶。その秀逸な絹は、海を渡るようになった。世は唐の末期――。「どこも戦乱だ。絹の輸送はこれから海路の時代になる」。かくして、最上級の絹は東の小さな港町に集められた。そう、海のシルクロードの起点、福建省泉州に。しかし、泉州の港は時の流れと共に土砂が堆積。そしてこの国際貿易港は、元代を境にアモイへと移された。

 欧州から寄航する船によって物資と共にもたらされたのは、全く異なる文化だった。アメリカ、フランス、日本、ドイツ、スペイン、ポルトガル、オランダ…。それらの共同疎開地となったコロンス島には、各国の領事館がひしめき合い、邸宅や別荘が立ち並んだ。その数、なんと数百棟。
築100年以上になる洋館は、精悍な様相を失うことなく今もただそこにあり続ける。

コロンス島の美しくも異様なその佇まいは、今でも多くの観光客を惹き付けて止まない不思議な魅力に満ちている。

お勧めスポット
コロンス島にそびえる建築物の中には、中国の伝統的な平屋住宅、端正な日本家屋、様々な彫り模様が施されたヨーロッパ建築などがある。そんなコロンス島を「万国建築博覧」と表現することもあるほど。アモイには2003年に、日月谷温泉リゾートと呼ばれる温泉の大型娯楽施設も登場し、新たな観光名所として注目を集めている。


概要・アクセス
コロンス島は、福建省第2の都市、アモイから約700㍍の距離に浮かぶ、面積わずかに1・78平方㌔の小さな島。音楽、とりわけピアノのメッカとしても知られ、その世帯あたりの保有数は国内一を誇り、別名「ピアノの島」とも呼ばれている。上海からは、まずアモイ高崎国際空港へ。片道約1時間15分、往復約700元。アモイからコロンス島へは船で10分。

古い木造家屋の並ぶ街

ホイアン

 


 中国や欧州から寄港した船舶が並ぶ港で、香木の白檀(びゃくだん)や麝香(じゃこう)が続々と荷積みされていく。仏王妃マリー・アントワネットの使う香水の原料となるのだ。「大事に運べ」と低く響く船長の野太い声を遮るかのように、麝香の甘い香りが漂った。ここはかつて日本人も往来したベトナム中部の街・ホイアン。

 「安らげる場所」という意味のホイアンは歩いて回れるほどの小さな街。8世紀よりチャンパ王国の「海のシルクロード」の中継地として発展し、16世紀には日本、中国、欧州の船が来航する国際貿易港となった。華僑により整備されたこの街は、今も古い木造家屋が建ち並び、当時と変わらぬ装いで淡々と時の流れに身を任せる。華僑の漁師が住んだ「タンキーの家」、赤や黄色の原色を使った華僑の集会所「福建会館」、商売の神様・関羽を祭る「クアンコン寺」――華僑の貿易商人の笑い声が今にも聞こえてきそうだ。

 
 天秤棒で果物を運ぶ女性、それを眺める碧眼金髪の若者。ホイアンの新たな国際都市としての歩みは始まったばかり――。

お勧めスポット
街は日本人によって架けられた屋根付きの「日本橋」を起点として、古い木造家屋が川沿いに建ち並ぶ。現地の貿易商人の住んだ築380年を数える「クアンタンの家」など、それぞれの家は間口が狭く、奥に長く広く、京都の町屋に似ている。また、ホイアン南西約45㌔にはチャンパ王国の聖地で世界遺産のミーソン遺跡がある。


概要・アクセス
ホイアンはベトナム第3の都市ダナンの南東約30㌔に位置する、トゥボン川河口に形成された古い港町。16世紀には日本人町も作られ、最盛期には1000人以上の日本人が住んだとされる。当地で客死した日本人の墓も郊外に建つ。10月は雨季に当たるが、雨は比較的少ない。上海からは飛行機でホーチミンを経由してダナンへ。そこからタクシーで1時間。合計片道約7時間、往復約5600元。


 いや、そこまで安いエアチケットはありませんが…。えっ、陸路で構わない? では、一応調べてみますね。(カタカタ…15分後)、…大変お待たせしました。中国からイタリアまで、パキスタン、イラン、トルコ、ギリシアの21カ所をバスと電車と船を乗り継げば、なんとか予算内でたどり着けそうです。全長約1万㌔、2泊15日のプランになりますが、覚悟はよろしいですか?
 まずは上海から列車で4日かけてカシュガルへ。5日目にパキスタン入りし、10日目までパキスタンとイランを主にバス移動。道路状況も治安も芳しくないので緊張の連続です。落石、スリップ、転落などの恐怖、また灼熱の砂漠でエアコンなしの車内は蒸し風呂状態。加えて食費は1日1元。常に水を確保し、ローマを想って流す熱い涙で味付けし、食事としましょう。
 地獄に仏と言いますが、10日目以降は楽々列車の旅を用意しております。特にテヘラン~イスタンブールでは寝台車を十二分に楽しめます。約70時間の自由時間。今まで緊張で楽しめなかった、小麦畑などののどかな農家の風景を堪能してください。
 14日目に遂に欧州入り。最後は船でギリシアからイタリアへ。空腹でフラフラでしょうが、デッキで足を踏み外し海に落ちないようにお願いします。
 では、ご希望プランの行程表をFAXでお送りします。余談ですが、飛行機ならローマまで16時間、片道4400元位ですけどね…。

~ジャピオン8月15日発行号より

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