創立30周年を迎える
1975年に在上海日本国総領事館の1室を借り「上海補習学校」が生徒数7人でスタート。その後、87年梅龍鎮に誕生した「上海日本人学校」の児童生徒数は、小学部50人、中学部11人、建設面積はわずか685平方㍍だった。その小さな学校が、中日交流の進展と中国経済の著しい発展により、上海への日系企業進出が進んだことで生徒数が増加。96年には虹橋校を開校、10年後の2006年には、急増する生徒を受け入れるため、浦東校の設立に至った。また11年には世界中にある日本人学校で初の高等部を設置し、今年4月同校は、創立30年という節目を迎えた。
創立から10年間の苦労
上海日本人学校の最初10年間は、運動会や文化祭を外部施設で行うなど、生徒のみならず教職員も苦労した時代だったと言う。当時は、一部4階建てのレンガ造りで学校風の見た目ではあったが、学校として建てられたものではなかったので、教室として使うには数々の支障があった。雨が降る度に雨漏りの個所は増え、傘を差しながら授業を行うこともあったそう。今でこそ各教室に設置されている冷暖房器具だが当初は整わず、真冬には靴下の重ね履き、コート、手袋をはめて授業を行ったこともあったと言う。また窓の隙間から入ってくる国道からの騒音に頭を悩まされたりと、さまざまな困難を乗り越えながら、徐々に学校としての発展の基礎が築かれていった。
先生から生徒たちへの願い
上海日本人学校は今、新しい時代を担う人材育成のための教育組織作りに取り組む必要があるとしている。日々の教育活動を通じて、自国への認識を深化させ日本人としての誇りを持ち、アジアから世界に貢献できる人材に育ってくれるよう指導に当たっている。また校訓である「独歩博愛」の2つの心をベースに、明るくやさしくたくましく、国際性豊かな生徒になってほしいと先生たちは日々教壇に立っている。
さて、次からは生徒たちの活動の様子を見てみよう。
様々な経験を通じて成長
上海日本人学校虹橋校・浦東校小学部には約2000人の児童が在籍。国際都市・上海ならではの特色ある教育活動を展開する。
中国や日本の文化と触れ合えるチャレンジタイムでは、中国伝統の舞獅や中国雑技団の演目を観賞したり、また日本のトップアスリートや文化人らが来校し講演や授業を行ったりなど、貴重な体験ができる機会を設けている。先日7月8日(金)には、駿河台大学ラグビー部監督らによる「タグラグビー教室」が開催された。腰に着けたリボンの取り合いが、ラグビーのタックルや防御を意味するという安全で気軽に楽しめるタグラグビー。シッポ取りゲーム同様、懸命に逃げる敵チームのタグを取ろうと必死に走り回る生徒や、初めて触るラグビーボールをうまくつかめず悔しがる子どもたちの活き活きとした姿に、取材班も自然と笑みがこぼれた。
互いの思いを伝えて相互理解
上海日本人学校浦東校には、小学部と中学部が併設する。中学生が英語による絵本の読み聞かせをするなど、小・中学校併設の特長を活かした取り組みを行う。この活動から小学生は、〝ああいうお兄さんやお姉さんになりたい〟と自分の将来を具体的にイメージし、中学生は教えることを通じてより知識を深める。また双方に思いやりの心が芽生えるそう。
日中国交正常化25周年の年に始まった「中国語・日本語中学生スピーチ大会」では、現地の中学生と交流を図る。日本の中学生が中国語で話したり、中国の中学生が話す日本語に触れたりする中で、生徒たちは異文化への理解と、中日友好の思いを深めていく。毎年大きな学びがあるというスピーチ大会。「準備は大変、けれど発表した後の達成感は最高」と語る彼らの屈託のない笑顔に、中日の未来は明るいと思う取材班だった。
国際都市で経験できること
世界に89ある日本人学校の中で唯一の「高等部」として2011年に開校。
全校生徒120人と小さな学校だが、日本の高校と同じカリキュラムで学べる。一番の特色は、日本の有名大学11校による協力大学コンソーシアムを持ち、大幅な指定校枠を得ていること。また日本国内はもちろん海外への多様な進学希望に対しきめ細やかな指導を行っている。
1年時の語学キャンプでは、2泊3日で東華大学を訪れ、中国語のみで行われる授業でみっちり学習する。中国語の楽しさを体感できる活動だ。また日本の文化祭に当たる「秋日祭」は、平和双語学校と共同で催している。打ち合わせや準備を通じ互いの意見をしっかりぶつけ合うことで、生徒たちは相互の文化を理解し合い、かけがえのない友達を得ている。
~上海ジャピオン2016年07月22日号