アイさんを雇う①

アイさん


【阿姨さん】〔名〕
家事全般から子供の世話までこなす、上海生活の強い見方。
共働きの多い上海人の家庭では一般的な存在。
日本人家庭でも雇っているところは多い。
本来は中国語で「おばさん」の意だが、
その呼びかけが日本人の間で本人を示す言葉として定着した。
(類)家政婦。お手伝いさん。

 アイさんも、一人ひとりは別々の個性と人生を持つ人間。
上海人の王克栄さん(49)は、夫とその母親、そしてインテル上海支社で働く息子と暮らしながら、この仕事を続けている。
毎週家政学校に通ってスキルに磨きをかける彼女に、アイさんの仕事について伺った。


目標は、高級家政の資格を取ること

家事は一切したことなかったの。上海の女性は家事をしないからね」王さんは悪戯っぽく笑う。
 結婚してから、布織り、露店販売など、色々な仕事をした。その間、家事はほとんど夫に任せきり。夜遅くまで、帰宅できない仕事だったせいもある。前の職場は24時間営業のコンビニだった。
 夜は時間が自由になる――そう聞いて、アイさんの仕事に就いたのが6年前。夜は家に帰れるようになり、ひとつずつ家事を覚えた。「この6年間で、家事はなんでもできるようになった。今の仕事は、昼から午後5時まで休めるから、その間自宅に戻って家事もできる。家族の晩御飯を机の上に用意してから、仕事先に戻るの」。
 現在は、ドイツ人家庭で、朝7時半から夜8時半まで、平日の5日間働いている。そして毎週日曜には、家政学校である上海婦女干部学校に通学する。授業は朝から夕方までみっちりだが、新しい技術を学ぶのは楽しくて仕方がない。
「目標は、高級家政の資格を取ること。西洋料理もどんどん覚えたいしね。今週の課題は生け花なの」
 旺盛な向上心を見せる王さんは、60歳までは現役だよと笑う。「その頃には息子も結婚してるだろうし、家庭や孫の面倒をみてあげたいね。今じゃ家事もマスターしたから、もう大丈夫!」楽しそうな目は、そんな未来を待ち遠しく思っているようだった。

 アイさんには、地方から上海にやって来た「外地人」も少なくない。
9年前に安徽省から上海へ出て、現在7つの家をかけもちする翟根梅さん(47)の場合を見てみよう。


上海に来なければ、仕事がなかった

 「あの頃の安徽省には、仕事なんてほとんどなかった。」懐かしむように、翟さんは振り返る。
 33歳の頃、職を失った。その後5年間、日用品を売り歩いたが生計は立たず、友人に誘われるまま上海に出ることになった。「夫と息子を置いて来た。だけど、1年後には夫も上海に来てくれた。実際、安徽省では、上海に来なければ仕事がないという状況だったのね」。
 住みやすい。それが上海の印象だった。物も仕事も多かった。出稼ぎにやって来た同郷人も多く、みな店員、作業員、警備員などの仕事に就いた。「私は38だったし、できる仕事は少なかった。それでも、子供を世話する仕事はすぐに見つかった。人の世話が好きだったのでぴったりだと思った」。
 だが、上海生活も楽ではなかった。高い生活費に加え、地方出身者に必要な臨時居留証や健康証の取得にも費用がかさんだ。夫と借りている部屋は、ベッドを置けば座る場所も無くなるほど狭い。さらに、ひとり安徽省に残してきた息子への仕送りも続けてきた。来たばかりの頃は仕事も少なく、不安で何度も帰りたくなった。
 「でも、やっぱり上海が好き。生活は便利だし、大好きな衣服もたくさんある。働けるうちは、ずっと上海で働きたいと思う。9年間の仕事で、上海料理の味付けも上手くなったし。」
 老後は夫と故郷に帰り、ふたりで住むつもりだと言う。「息子は私たちと住みたがらないから」。翟さんは最後にそう言って苦笑した。

~上海ジャピオン6月16日発行号より

最新号のデジタル版はこちらから




PAGE TOP