智勇を兼ね備えた軍師
人物名 朱武(しゅぶ)
ゆかりの地 安徽省滁州市定遠県
あだ名 神機軍師
職業 副軍師
宿星 地魁星
安徽省滁州市定遠県出身。
入山前は陝西省の少華山で仲間の陳達(ちんたつ)、
楊春(ようしゅん)らと山賊稼業をしていた。
梁山泊の侠客、史進(ししん)と出会った後、
魯智深(ろちしん)の勧めで入山し、副軍師として活躍。
梁山泊が朝廷帰順後は、道士の公孫勝(こうそんしょう)に弟子入りする。
賊徒出身の戦う軍師
勝利に導いた陣形
朱武は陝西省の少華山に籠もっていた山賊の第1頭領。
第2頭領の陳達、第3頭領の楊春とともに、近隣を荒らしていた。
「双刀(そうとう)」という二振りの刀の扱いに長けるだけでなく、
兵法や陣形、用兵術についての知識をもつ。
実戦では部下を束ね、巧みな戦略を練ったことから、
「神機軍師(しんきぐんし)」と称された。
虞姫墓は項羽の愛姫、虞美人(ぐびじん)の墳墓。
虞美人は項羽が敗れた後に自害
ある日、部下の陳達が、棒術の名手である史進に
勝負を挑むも敗れ、捕らえられてしまう。
朱武は史進とまともに戦っても勝てないと判断し、
泣き落としの策を取った。
「我らは生まれた日は違えども死す日は同じと誓った義兄弟だ」
と涙ながらに訴える朱武に心打たれ、
史進は、陳達を解放するのだった。
朱武はその後、史進を少華山の新頭領として迎えたが、
史進の兄貴分である魯智深の説得を受け、
朱武らはそろって梁山泊入りする。
入山後は、軍師の呉用(ごよう)の補佐役を務めた。
王慶の戦いでは、梁山泊第2頭領の盧俊義(ろしゅんぎ)を補佐し、
「循環八卦(じゅんかんはっけ)の陣」という陣形を使って、
敵軍を翻弄する活躍を見せた。
方臘の戦い後も生き残り、
最後まで智勇を以って山塞を支えた。
中九華寺。定遠県北部に位置する。
楚の武将、項羽(こうう)が垓下(がいか)の戦いで敗れた後、
この寺を訪れたという
朱武と深い関わりのある安徽省滁州市定遠県。
古代は曲陽と呼ばれ、『三国志』の呉の戦略家である魯粛(ろしゅく)、
明の創始者、朱元璋(しゅげんしょう)に仕えた軍師、李善長(りぜんちょう)など、戦略・戦術の才に秀で、智謀に長けた人物を多数輩出している。
そして、神機軍師・朱武もその1人だ。
この地に眠る、才智の神に出会いたいものだ。
【アクセス】
①上海浦東空港から空路にて合肥駱崗空港まで約1時間
②上海虹橋駅から定遠駅まで、高速列車で約2時間、2等席189.5元
~上海ジャピオン2013年5月17日号