水滸巡礼~108の足跡~童威(どうい)

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海を渡った蛟
童威(どうい)

ゆかりの地 江蘇省蘇州市太倉市
あだ名 出洞蛟
職業 水軍頭領
宿星 地進星

江西省九江市出身。弟の童猛(どうもう)とともに、同地域の顔役・李俊(りしゅん)の塩の密売を手伝っていた。李俊の梁山泊入りに伴い入山し、水軍頭領を務める。方臘の戦い後は、李俊と一緒にタイに渡り、同地の役人となった。

龍を支え続けた蛟
異国を求めて渡航

童威は、江西省九江市出身のごろつき。掲陽嶺の顔役で、「混江龍(こんこうりゅう)」の名で恐れられた李俊を慕い、塩の密売をしていた。あだ名の「出洞蛟(しゅつどうこう)」は、洞窟から出てきた龍「蛟(みずち)を指す。泳ぎや操船に長け、弟の童猛と常に行動をともにしていた。

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物語で童威たちの出航地となった太倉港。明朝の航海士・鄭和(ていわ)もこの地に寄港した

ある日、義士として名高い宋江が殺人罪で潯陽江へ流され、自分たちのところへやって来る噂を聞く。童兄弟は宋江を敬う李俊に誘われ、宋江が訪れるのを待っていたが、いっこうに姿を見せない。実は宋江はこの時、強盗居酒屋でしびれ薬を飲まされ、まさに殺されるところであった。これを知った李俊は救出するよう命じる。童兄弟は彼を救い出し、家に招いて盛大にもてなした。その後も、宋江は船に乗ったところを悪漢に脅され金をゆすられたり、朝廷を批判する詩を書き叛乱罪に問われたりと、幾度となく危機に陥ったが、その度に李俊の命により、兄弟に助けられた。後に、童威たちは梁山泊にこの手柄を認められ、李俊に付き従って入山。

その後は水軍の主力として活躍し、王慶の戦いでは敵将の生け捕りに成功。また、方臘の戦いでは、敵に糧秣を納入する商人の船を装い、敵城を打破することに貢献した。しかし、李俊が朝廷の梁山泊一行から離れると、兄弟もそれに従う。海を渡り、異国に行く李俊の航海に付き添い、その後も彼を支え続けた。梁山泊のためと言うより、唯一信頼できる李俊のために、生きた生涯だったといえる。

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太倉沙溪。太倉市北部に位置する。江南(長江以南の地域)水郷の1つで、明・清代の住居や街並みが保存されている

童威たちがタイへの旅に出発した港・江蘇省蘇州市太倉市。長江デルタ地帯に位置し、今日では工業港となっている。黄河、長江のみならず海をも渡った豪傑がここにいた。

【アクセス】
上海駅から蘇州駅まで、高速列車で約25分、2等席40元、1等席60元

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~上海ジャピオン2013年12月27日号

 

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