食道をゆく 第10回 蟹黄湯包

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シエホワンタンバオ
蟹黄湯包
~江蘇省鎮江市~

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?蟹黄湯包は真ん中に太いストローを刺しているタイプもある

旬の上海蟹味噌スープ
劉備の妻への弔い品

 10月から11月にかけては上海蟹の季節。
この季節に是非味わいたいのが、
上海の小龍包などと並んで「中国四大包」にも数えられる蟹黄湯包だ。
小龍包よりも大きな肉まんサイズで、蟹肉と蟹味噌スープが薄い皮でたっぷり包まれている。
言い伝えによると、この蟹黄湯包の誕生は、今から1800年ほど前の三国時代に遡る。
 三国後期、呉の国との夷陵の戦いに敗れ意気消沈した蜀の劉備は、白帝城で病死。
劉備の妻であり呉の孫権の妹でもあった孫夫人は呉の国でそれを知り、
夫を追い長江に身を投げて自殺してしまった。
劉備の忠臣・諸葛孔明はその話を聞きつけ、すぐにでも弔いに駆けつけようと考えたが、
出征中で身動きがとれなかったため、
かつて劉備夫妻に仕えていた老人を呉の国へ遣わすことにした。
 老人が弔い品は何にしたらよいかと孔明に尋ねると、
孔明は昔川の氾濫を鎮めるために用いた饅頭(マントウ)を贈るようにと言った。
言われた通り、呉の国についてからマントウを作り出した老人は、
ふと夫人が生前は大の蟹好きだったことを思い出し、
急いで蟹をゆでて身と味噌をマントウの中に入れたのだった。
この時老人によって作られたのが、今の蟹黄湯包の前身とされる。

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鎮江博物館では、新石器時代から近現代までの文化財約3万点を収蔵する

 かつて呉の国の都が置かれたこともあった江蘇省鎮江市では、
今もこの蟹黄湯包が名物として受け継がれており、全国にその名を轟かせている。
5~6個で50元程度。
劉備と孫夫人の夫婦愛、そして孔明や老人の思いやりをかみ締めながら、
旬の上海蟹を味わってみるのも良いかもしれない。

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【アクセス】
上海駅または上海南駅から列車で約2~3時間

~上海ジャピオン10月23日号より

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