いま、松江がアツイ!

今回紹介するのは、
軌道交通9号線の南の終点がある、松江地区。
いまや〝郊外〟という印象が強いのは否めないが、
実は元代には「松江府」が置かれるなど、
今の上海の発展は、まさにここから始まったのだった。

松江の成り立ち

「松江府(しょうこうふ)」は、
現在の松江にあった嘉興路に設置した「華亭府」を前身とし、
後に「松江府」と名称を改めた。
また別称を「雲間」という。
1914年には「松江県」と改称され、
58年に江蘇省から上海市に移管、98年に市轄区に昇級した。
古来から繊維業で発達してきたこの都市は、
明・清代には中国15大都市としてその名を轟かせた。
しかし1842年にイギリスと結んだ「南京条約」により、
広州、福州、アモイ、寧波、上海の5港が開港され、
翌年にはアメリカとも同様の「望厦条約」、
フランスと「黄埔条約」を締結。
黄浦江周辺地区には
イギリス・アメリカ・フランスの租界地が作られた。
また「洋行(外国商社)」が設立され、
江蘇・浙江・安徽・福建省などからも
移民労働者が上海に集まってきたことで
急激にこの地区が発展したため、
中心となる道も条約の名を取って「南京路」と呼ぶようになった。
当時の重要な建築物が今も重要建築物として残るばかりか、
古来の姿を留めているのは、
奇しくも都市の中心が松江から南京路周辺へ
移ったことによるところが大きいのかもしれない。

松江に縁のある人々

さて、上海発展の起源となった松江だが、
繊維業など商業・経済はもちろんのこと、
政治・文化発展の中心地でもあり、
歴代著名な文化人を多数輩出してきた。
5歳で『論語』を読み、
6歳で文章を書くことができたという西晋の文学者・陸雲や、
明代の書家・官吏だった董其昌、
科挙試験の標準書体を作った翰林学士・沈度。
また、日本で個展を開催したことがある、
元上海国画院画師の程十髪は松江の出身で、
彼の名を冠した美術館「程十髪芸術館」が
松江区中山中路に残されている。
1980年に日本での個展を開催した際、
程十髪は日本の茶道に触れ、
中国茶道や書道にも共通点を見出した。
ちなみにこの芸術館では今年、
水戸黄門こと徳川光圀が師と仰いだ
明代の儒学者・朱舜水の書簡などが、
今年福岡県柳川市から貸し出され、展示された。
さらに時を遡れば、
奈良時代の僧侶・空海と、
日本における律宗の開祖・鑑真が日中を行き来したのは、
現上海の港という説も。

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今の松江の魅力とは?

では、そんな歴史を纏った松江の今の姿が、
ただの〝郊外の町〟であるはずがない。
松江に住む駐在員M氏とN氏に、
早速松江オススメスポットをアテンドしてもらおう!

9号線の果てに

とある日の昼下がり、
取材班は軌道交通9号線で一路松江を目指した。
目的地は松江在住の駐在員M・N両氏の待ちうける、
終点「松江新城」駅だ。
1つ手前の「松江大学城」駅から望む窓の外の風景は、
何とも殺風景だ。
その合間には「別墅」と呼ばれるような
高級住宅や高層マンションが建ち並ぶ(写真①)。
郊外で静かに過ごしたい、
と思う人々によって選ばれる土地、
それが松江ということなのだろう。

「住めば都」の精神

今回ナビゲートしてくれたM・N両氏は、
上海歴それぞれ4年と1年。
職場が松江にあるため、住む場所も松江を選んだが、
当初は市中心部まで1時間かけて遊びに出るのが億劫に感じ、
中心部に住みたいと熱望していたそうだ。
しかし住めば都というものなのか、
今は松江を愛するほどまでに。

異国情緒の校舎

そんな彼らに導かれるがまま、
取材班がまず向かったのは「上海外国語大学 松江校区」。
同大学は1949年、
ロシア語に堪能な人材の育成を目的として建設された、
60年以上の歴史を持つ由緒正しい大学だ。
ロシア語、英語、日本語、フランス語、ドイツ語などのほか、
トルコ語、ペルシャ語、アラビア語、ギリシャ語、
ウクライナ語、ヘブライ語など、全25言語に加え、
対外中国語やビジネス英語の専門課程までをも有する。
この松江校舎は2000年に建設されたものだが、
実にユニークな建築様式を採用しているのが特徴的だ。
緑の多い広大な敷地には、東洋言語学部、
トルコ語学部やアラビア語学部のモスクを模した校舎や、
ロシアの大聖堂のような校舎がゆったりと構える(写真②③④)。
その姿には使い込まれた歴史を感じさせるものがある。

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英式の町並みを再現

次に取材班が向かったのは、
05年に建設されたイギリス式ニュータウン
「テームズタウン(泰晤士小鎮)」。
ウォーターフロントを利用し、
石畳の道と運河(テムズ河)の周囲に、
イギリス風建築が配置されている(写真⑤)。
同エリアは、上海市政府が立案した、
郊外ニュータウン計画〝一城九鎮〟の
初プロジェクトとして誕生した。
同プロジェクトは、
市郊外の軌道交通沿線上に、
9つの異なる外国式ニュータウンを建設するというもので、
このほかにもドイツ式、チェコ式、スペイン式などの
計画が持ち上がったそうだが、現在どの程度進行しているのか、
はたまた頓挫したのかは不明のままだ。
同タウン内の400棟に上る高級ヴィラは、発売と同時に完売。
中心の広場を取り囲む、
およそ1500戸の住宅は半数が埋まっているという。
敷地内には、老上海風のカフェ(写真⑥)や
アイリッシュパブ、ブックストアに学校、音楽ホール、
美術館、銀行、郵便局などがある(写真⑦⑧)。
しかしながら、休日のこの町は
〝結婚写真撮影スポット〟以外の何物にもならない。
歩けば5㍍毎に、
ドレスとタキシードを着たカップルに遭遇するのだった。
なお、売り出し当初の価格は、
1棟1000万元以上だったとか…
一体どんな人が住んでいるのか、
M・N両氏共に見当もつかないという。
謎は深まるばかりだ。

上海最古の清真寺

多様な少数民族が暮らす上海には、
回族などイスラム教を信仰する人々も多い。
そのため、市内には9つの清真寺(イスラム寺院)が
置かれているが、
その中でも最も古いとされるのが、
この「松江清真寺」だ(写真⑨⑩)。
外観は至って一般的な中国式だが、
色遣いや中の構造は〝中阿折衷〟といったところだろうか。
中庭に置かれた休憩スペースも異国感たっぷり。
忙しく立ち働く男性に聞いてみると、
毎金曜の礼拝には「松江にこれほどの人がいたのか」と
思わせるほどの賑わいを見せるのだそうだ。

月夜に酒を飲み交わす

お次は清代の画家・顧大申が
唐代の詩人・白居易の生活振りを
真似て造ったという「酔白池」。
名前の由来は、
宋代の書家・詩人である蘇軾の「酔白堂記」による。
長い回廊と庭園が広がる姿は豫園にも通じる趣きだが、
比較にならないほどの静けさに包まれる(写真⑪⑫)。
駐在員の2人は、
「月夜に酒でも飲みたいなあ」とのたまった。

〆は小吃でキマリ

最後は「方塔園」。
園内にある九層の塔(写真⑬)は北宋時代に建設され、
上ることもできる。
壁には中国の想像上の動物・狽(バイ)が描かれている。
なお、「酔白池」から「方塔園」までの間には、
「廟前街」という小吃街も。
松江巡りのラストは、
庶民的な雰囲気で〆てみよう(写真⑭)。

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~上海ジャピオン06月01日号

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