喧騒から離れた筋
多倫路の入口は四川北路繁華街に面し、車の入れない歩行街となっている。旧名を「竇楽安路dou4le4an1lu4」①と言うのは、清代に「進士」の称号を与えられたイギリス人、ジョン・ダロックにちなんだものだ。北端は東江湾路と交差し、道を渡れば内山書店跡地がある。2010年認定。
多倫路は1911年~20年、外国人居留区と中国人街を隔てる形で造られた。全長550㍍と短いL字型の通りに、当時の歴史や文学界を語るに欠かせない人物たちが多く集った。最近の中国映画『黄金時代』では、この時代を生きた作家たちの姿が描かれる。
文豪たちが佇む
まずは32号の喫茶「禧勃坊」。店の前には、中国を代表する作家の1人、魯迅とその友人たちの銅像が卓を囲んでいる②。この店と並ぶもう1軒の老舗喫茶が123号の「老電影咖啡館③」。こちらの店舗前に立つのは、何とイギリスの俳優であり、監督であり、〝喜劇王〟と呼ばれたチャップリンだ。ここだけが例外だが、多倫路上には魯迅と内山完造、郭沫若、丁玲、瀋尹黙、茅盾、葉聖陶などなど多くの大作家の銅像が、まるで今も生きているかのように自然な姿で佇む。また169号のアパート「永安里④」の外塀には、同じく文豪たちが石版となって道行く現代の人々を見守る。ちなみに、内山完造の「内山書店」も169号に再現されている。店内は古書市場で目にするような、ホコリをかぶった古い文学書の山である。
重要な建築ばかりが並ぶこの通りだが、北の出口に隣接する、250号の住宅だけはお見逃しなく⑤。永嘉路にも住んだ政治家・孔祥熙の旧宅で、砦と見紛うような円形の造りが特徴的だ。
公道と私道を繋いで
陝西北路は1899年、静安区と普陀区を南北に跨ぐ形で、南は延安中路から、北は蘇州河畔に接する宜昌路に渡って建設された。上海に置かれた各国政府共同の行政組織である工部局が開いた公共道路「西摩路」と、寧波の富豪・李家による私用道路「李誦清堂路」を繋いで1本の道とされた。古くから高級住宅地区の1つとして知られ、とりわけ新閘路―巨鹿路間は富豪の家が立ち並んでいたという。
中国歴史文化名街に選出されたのは2013年、わずか1㌔という短い通りに、著名人の旧居やクラシックな建築、またそれらの建物が市の歴史を色濃く残したものである、との理由から、第5回の選出委員会によって認定された。
外国人の高級住宅街
北を向いた足元には、銅板に書かれた優秀建築マップ。中国語名と英語名の両方が書かれ、これにならって歩くと便利だ。
陝西北路の南端、延安中路を挟んだすぐ南西側は、競馬王エリック・モラーが、娘の夢に出てきた邸宅を実現させたというエピソードで有名な、1927年築の「馬勒別墅①」が建つ。
さて北へ50㍍ほど進み、左手175号の集合住宅「華業公寓②」から見ていこう。これが建てられたのは37年、当時は外壁をすべて赤いレンガで覆い、半地下には飾り窓から太陽光が射し込む造りだった。スペインと中国の折衷建築から、現代的な建築への過渡期に建てられた、数少ない物件の1つである。
次は186号、栄宗敬の旧居③。この通りに建つ老建築の中でも、特に美しい2軒のうちの1つだ。栄宗敬は弟とともに、21もの企業を立ち上げた実業家で、その事業内容から「棉紗大王」、「麺粉大王」と呼ばれた。その豪奢な住居は全体的に白を基調とし、八角形のバルコニーや門柱の小さな屋根など、細かい装飾を施し優雅な豪邸そのもの。残念ながら現在は修復中だが、来年3月末には再びその美しい姿を見せてくれるだろう。
花園の中に佇む名家
奉賢路と交差する角に残る「西摩別墅④」。建築年は50年ほど前、中産階級が住んだ。かつては330号にあったが、市政府による道路拡張計画に伴って現在の位置、342弄へと移築された。
369号⑤は、〝上海四大家族〟の一族・宋家の旧居。白とピンクの外壁に焦げ茶色の屋根、雨樋は緑と、モダンで欧風の一戸建てだ。広い玄関フードには、かまぼこ型の大きな窓がある。家をぐるっと取り囲む石畳を辿ると裏手はよく手入れされた庭。まさに〝花園洋房〟の呼称がふさわしい。眺めていると、3姉妹が走り回る後ろ姿が浮かび上がってくる。現在は見学不可なのが残念だ。なお、すぐ隣の375号は10年築、赤いレンガ造りの教会「懐恩堂⑥」。
新閘路以南の保護建築
続く457号は中国香港の著名実業家・何東の旧邸⑦。49年に帰香すると「上海辞書出版社」がここに置かれた。石造りの重厚な建築の中、職人気質の出版人たちが辞書を編纂する…時が止まったような光景が浮かんでくる。
最後に紹介するのは新閘路にぶつかる手前、500号の「西摩会堂」⑧。ユダヤ教の教会として20年に建てられた。ギリシャ神殿のように荘厳で、当時の権威ある人物が建てたことが見て取れる。保護建築はここが最北となる。
入口のランドマーク
旧フランス人居留地の中心ともいえる武康路。全長1183㍍、南は淮海路、余慶路、天平路と接し、北は湖南路と交差して華山路まで伸びる、上海きっての欧風建築ストリートだ。中国文化名街に選出されたのは2011年、第2回選定期。
南端に位置する淮海中路1842~58号の「武康大楼①」は、その特徴的な形状からランドマークとして、また旧フランス人街のシンボルとしてあまりにも有名だ。この頃建てられたほかの集合住宅と同様、フランスの地名を用いて「ノルマンディー・アパート(諾曼底公寓)」と名づけられ、53年改称。王人美、呉茵、趙丹、孫道臨など映画人が多く住んだことでも知られる。1924年当時の上海では珍しい高層マンションで、ハンガリー人建築士ラズロ・ヒューデックが設計したもの。ヒューデックはほかに、国際飯店や大光明電影院などを手掛け、自身の住居を番禺路に置いた。
欧米人の老房子観光
南から辿ることにしよう。まずは395号、26年築の「旧北平研究所②」から。花園を有するバロック様式で、その名の通り、化学、生物、薬学、動植物学、地質・歴史学までもを扱う研究施設だった。日本人の感覚からいえば、研究を行うなら、もっと小ざっぱりとした飾り気のない暗い建物を連想するが、優雅な豪邸で研究が厳かに行われていた、というのが何とも面白い。
続いては393号。12年、政治家・黄興の住居として建てられ、2010年「武康路観光情報中心」、「徐匯老房子芸術中心」に転身③。衡山路~復興路~武康路と、欧米からの観光客が多いこのエリアで、見どころとなるポイントを紹介してくれる。内部は2階まで吹き抜けで、かつての街を収めた写真などを展示。
390号、白い壁と赤茶けた瓦屋根の2階屋は、旧イタリア総領事官邸④。外側にはぐるりと囲むように風通しの良さそうな回廊、地中海の海岸沿いにあってもおかしくない存在感を発揮している。
外国人経営のバーやレストラン、ギャラリー、服飾店などが入居する、376号の「ファーガソン・レーン(武康庭)⑤」。名前の由来は武康路の旧名が「福開森路」であることによる。欧米人が多く集い、週末ともなると公用語が英語かフランス語に変わる。中国にいるということを忘れてしまうほどの異国感に包まれている。
広い庭に囲まれた家
今年3月の「上海文化人の家」特集でも紹介した作家・巴金の故居は113号⑥。旧ソビエト連邦の貿易事務所で、1923年に建てられた。巴金は55年から晩年の2005年まで、実に50年の時をここで過ごした。現在は、巴金が暮らしていたそのままの姿で公開されている。1階サンルーム兼書斎はアンティーク家具が置かれ、物書きが憧れる環境が整っている。
イギリス風庭園のある99号の住宅は、政治家・劉靖基の旧居だ⑦。また後に、イギリスの貿易会社「正広和」の社長宅にもなっている。28年築、木造の3階建てで、赤い屋根と緑の窓枠のコントラストが、紅葉の散るプラタナス並木によく映える。
~上海ジャピオン2014年11月14日号