文化人の泊まりし、オールドホテルルーム

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ノーベル賞受賞の知らせ 眠れぬ夜のお供はタバコ

蘇州河にかかるガーデンブリッジ(外白渡橋)の傍に、
どっしりと居を構えるホテル・浦江飯店。
重厚さと華やかさを併せ持つこのホテルに、
「相対性理論」であまりにも有名な理論物理学者、
アルベルト・アインシュタインが訪れたのは、
1922年11月13日のことだった。

日本の出版社・改造社の招待を受け、
ドイツから船で神戸へ向かう途中、
上海に寄港したアインシュタイン夫妻。
上海に到着するや否や、改造社の代表のほか、
各国の領事、中国の知識人たちに囲まれ熱烈な歓迎を受けたアインシュタインは、
その場でノーベル物理学賞の受賞を知らされるのだった。

休む間もなく豫園や南京路などを観光した後、
宿泊したのが、リチャーズホテル、現在の浦江飯店だ。
304室に逗留したアインシュタインは、
ノーベル賞受賞の興奮で眠れぬ夜を過ごしたという。
その証拠に部屋の床には、
アインシュタインが吸ったタバコの吸殻による黒ずんだ焦げ跡が残る。
また、当時アインシュタインが座ったソファーは、
既に座り心地は悪くなってはいるものの、租界時代の趣そのままの状態を保つ。
鏡台の前にもソファーと同じ柄、色のイスが置かれ、
アインシュタインと共に眠れぬ夜を過ごしたであろうエルザ夫人が、
朝に眠気まなこをこすりつつ化粧をした様子が偲ばれる。

翌14日には上海を離れたアインシュタイン夫妻だが、
ノーベル賞受賞の知らせを受けた土地として、
上海は夫妻の記憶に残るのだった…。

ホテルは外灘の中心に 新婚旅行兼ねた世界漫遊?

欧風建築が立ち並ぶ、黄浦江西岸エリア。
そこは「外灘(バンド)」と呼ばれ、租界時代は行政と経済の中心となっていた。
当時はキャセイ・ホテルと呼ばれた和平飯店は、
外灘のほぼ中央部に位置し、各界の著名人を受け入れてきた。
その中の1人に、日本でも知らぬ人はいない喜劇俳優がいる。
その名は、チャールズ・チャップリン。

チャップリンは、1931年と36年に上海を訪れ、
31年には、前ページで紹介したリチャーズホテル(現浦江飯店)の404室に泊まったとされる。
和平飯店へは36年3月9日に、
内縁の妻ポーレット・ゴダードとの新婚旅行も兼ねた世界漫遊の途中に宿泊している。
和平飯店にある「和平収蔵館」の馬永章館長によると、
ゴダードとキャセイ・ホテルを経営するサッスーンが、友人であったことで、
宿泊先に選ばれたとする。

チャップリンは上海に到着すると、キャセイ・ホテル5階A室、
現在のドイツスイートルームへ向かう。そのままゆっくりと休むかと思いきや、
そんな暇もなく、
国際飯店で行われる上海文化人による歓迎パーティーに参加しに行くのであった。

京劇俳優・梅蘭芳と再会 記者会見で軽妙トーク

国際飯店でチャップリン一行を迎えたのは、
京劇の名俳優・梅蘭芳(メイ・ランファン)。
1930年に行われたアメリカでの京劇公演の際に、
2人は出会い、お互いの技量を認め尊敬し合ったという。
今回、2人は6年ぶりの邂逅であり、友情を深める絶好の機会であったが、
会話もそこそこに、チャップリンは100人以上の文化人が集まったパーティーを途中で切り上げる。
予定されていた、メディア記者会見へと向かうためだ。

記者会見は、チャップリンの部屋で行われた。
イギリスの風格を備える部屋には暖炉が備え付けられ、
チャップリンはその傍に置かれたイスにゆったりと腰掛けた。
キャメルの紙巻タバコを燻らせ、軽妙なトークで記者を魅了したという。
上海の印象についての質問には、「エキサイティング!」とひと言。
また、会見には内縁の妻のゴダードは参加しなかったこともあり、
中国人女性の美しさをべた褒めしたという。その場に居合わせた記者は、
女好きだったとされるチャップリンの、
喜劇王以外の一面を垣間見ることができたことだろう。

部屋から眺める黄浦江 古い調度品残るスイート

?チャップリンが宿泊した部屋からは、
今なお黄浦江のゆったりとした流れを望むことができる。
当時は、陸家嘴一帯は農村であり、
高層ビルが立ち並ぶ壮観は見られなかったであろうが、
かつて泊まったという北外灘のリチャーズホテルを眺め、想い出に浸ったはずだ。

ただ現在のドイツスイートには、
残念ながらチャップリンゆかりの品はない。
部屋のスタイル的には、80年前の調度品を使っているイギリススイートの方が、
当時の面影をより残しているかもしれない。

?ホテル内に博物館も 租界時代の備品の数々?

部屋以外では、ホテル内のミニ博物館「和平収蔵館」に、
チャップリンが宿泊した際にも、ホテルで使われていた品々が展示されている。
気品あるグラスに、インテリアのアクセントとして使いたくなること必至の、
独特の形をしたキータグなど、租界時代の息吹を感じられる。

また、VIP専用の出入り口の東門前に当時設置されていた外灯も、
収蔵館内にその姿を留める。その外灯の優しい灯りは、
寸暇を惜しみ、夜中の3時まで、
京劇鑑賞や極東一のダンスホールと謳われた「百楽門大舞庁」で
踊り狂ったチャップリンの帰りを迎え入れたことだろう。

その後、朝9時に上海を出発したチャップリン一行。
世界を股に掛ける新婚旅行は、まだまだ続く…。

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〝住む〟へのこだわり 部屋の水漏れも無問題

?かつてアベニュージョッフルと呼ばれたオシャレな淮海路にほど近く、
広大な敷地の中に3つのメインの建物が建つ錦江飯店。
中でも、1929年に建築されたイギリスゴシック式の建築物「錦北楼(キャセイ・マンション)」と、
35年に建てられたアールデコ調の「貴賓楼(グロヴナー・ハウス)」は、
ホテルの誇るクラシックビルだ。

元々マンションだった前述のビルは、
50年以降錦江飯店となり、上海、いや、
中国を代表する最高級ホテルの地位を獲得する。
世界の政治家など多くの著名人が宿泊したこのホテルに、
中国香港の芸能界から大物が宿泊しにくるのだった。
それは、レスリー・チャン(張国栄)。

レスリーの生活に対するこだわりは、
〝食べる〟ことと〝住む〟こととされ、
2000年9月に上海にてコンサートを行った際にも、
それが十二分に発揮された。レスリーが〝住む〟のに選んだのは、
錦江飯店貴賓楼の最高級ルーム・プレジデントスイート。
レスリーが、中国式プレジデントスイートを予約した時、
部屋は水漏れしており、ホテル側はもう1つの西洋式プレジデントスイートを用意したのだが、
レスリーは頑として譲らず、水漏れしていようと、中国式の部屋にこだわったという。

ベージュを基調にし、
雅な年代物の紅木家具で彩られた部屋は、
大成功に終わったコンサートの疲れを癒すのにピッタリの居心地の良さを、
随所に感じさせる。深くイスに座り、
物憂げな様子のレスリーは何を思ったのか…それを知るすべはもうない…。

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~上海ジャピオン10月14日号

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