「5年後の自分は何をしていると思いますか?」と問うたとしたら、あなたは何と答えるだろう。
憧れの世界で活躍している自分の姿を想像出来るだろうか?
夢を夢のままにしてしまわず、今こそ実現に向けて一歩踏み出してみよう!
超難関、通訳試験「上海外語口譯考試高級」に合格した栗田久里子さんに聞く、
「夢を実現させる原動力」とは?
去る10月29日に、上海市主催の通訳能力試験「上海外語口譯考試」の高級に合格した栗田さん。
通訳に興味を持ったのは、今から10年前の1998年。テレビで見た朱鎔基国務院総理のスピーチに感動したのだが、翌日の日本の新聞記事を読んで愕然とした。
「素晴らしいスピーチだったのに、ニュアンスが全然違う。私ならこんな訳はしない…」。それを機に、通訳者になりたいという夢が芽生えた。しかし忙しい毎日を送る中、いつしかその夢は遠くなっていった。
――10年前に抱いた夢を実現させようと思ったキッカケを教えてください。
栗田さん 今年の6月に、勤めている会社の式典が開催されたんです。その際に中国語力が評価されて、社長のスピーチの通訳を担当することになったんですが、あまりにも緊張してしまい、大失敗してしまいました。かなり落ち込みましたね。
――その経験から通訳を本格的に学ぼうと思った原動力とは何ですか?
栗田 それまで天狗になっていた中国語に対して、謙虚になれました。「ちゃんと通訳の勉強をしなければ」と。それに、また次は絶対に失敗したくないと思いました。それで、本格的に勉強することにしたんです。
――それで学校に通いながら試験勉強をしていたわけですが、お仕事の傍らということもあり、とても多忙だったのでは?
栗田 1日のスケジュールは、朝9時に出社して、デスクワーク、商談、などを経て深夜0時頃に帰宅。勉強は1日30分は必ずする! と決めていたので、帰宅後は机に向かいました。当時はとにかく勉強時間を捻出するのが大変でしたね。
――試験に合格した今、通訳の資格を活かしてどんなことをしたいとお考えですか?
栗田 私はあくまでも会社に勤めている人間なので、副業をするわけにはいきません。でも、ボランティアとしてなら、ぜひやってみたいと思っています。夢は、いつか首脳会談の通訳をすることですね(笑)。
――では最後に、これからキャリアアップを考えている人に向けてひと言お願いします。
栗田 資格はあくまでもスタートライン。単に資格を取るだけではなく、それを活かす方法まで考えておくと良いと思います。ビザなどの都合で就業できないこともあると思いますが、その場合でも、ボランティアとかでどんどん活かしていければ良いですよね。勉強してきたことがサビないよう、工夫することが大切だと思います。
学生時代に2年間、重慶の西南師範大学に留学。
現在、中国語検定2級、HSK10級のほか、広東語と?南語(福建省などの方言)も習得。
2004年に赴任に伴い来海。2008年6月から育成翻訳培訓中心に通い、10月に上海外語口譯考試高級に合格した。
学生時代に日本語教師の講座に通いはじめ、卒業を待たずして教師の道を歩み始めた吉村安里さん。
そして、子育ての傍らグラフィックデザインを学び、今やフリーランスで活躍する森裕香さん。
取材の最後に2人の口から出た言葉は、全く同じものだった。
学生から一気に教師へ
200人の生徒に囲まれて
現在、企業や学校などで日本語教師として教鞭を取る吉村安里さんは、昨年大学を卒業したばかりの24歳。
「上海に来て、中国語の勉強のため語学学校に通っていたのですが、そのときにジャピオンに載っていた「日本語教師講座」の広告に目が留まって。実は以前から日本語教師っていいなと思っていたんです」
その広告というのが、新幹線外国語進修学校の「日本語教師養成講座」だった。日本語だけで日本語を教えるというキャッチフレーズに興味を引かれた吉村さん。「なんだか面白そう。ちょっとやってみようかな」と軽い気持ちで、2007年10月からスタートする3カ月の講座に申し込んだ。
「週に1回だったし、何とか時間の都合も付けられると思ったんです。でも、HSKとも重なっていたのでその試験勉強もやって、平日は学校に行って、さらに学校の宿題と講座の課題をこなすとなると、毎日本当に忙しくて」
と、当時の状況を振り返る。学校のクラスメイトはパーティーに行ったり買い物に出かけたりと毎日楽しく過ごす中、あっちにこっちにと忙しい毎日を送った。一番忙しかった時は、9時~16時半まで学校、その後帰宅して宿題を終わらせ、HSK対策の勉強をして日本語教師講座の課題に手を付けるというスケジュール。気付いたらもうみんなは寝静まっている時間だった。とにかくこなすだけで精一杯。そんな日々が1カ月半くらい続いた。クラスの中でこんなに忙しいのはきっと私だけだろうなと思っていたと言う。
「それでも講座はとても楽しかった。毎回新しいことが学べて、生徒どうしでペアになって先生役、生徒役などを担当する模擬授業も大好きでした」
吉村さん曰く、日本語だけで教える技術が身につくことで、世界中のどの国でも教師として教壇に立てることがこの講座の最大の魅力だと言う。また日本に比べ上海では、日本語教師の求人が多い。現在は、学校、企業、個人の家庭教師など5つを掛け持っているが、1日1カ所に絞っているため、あっちからこっちへと走り回ることはない。講義時間は、一番長いものでも1日3時間と言うから、友人からは「時間がいっぱいあっていいね~」と羨ましがられることも少なくない。
「今の生活は気に入っています。講義内容もアレンジできるので、たまに雑談を挟んだりしてのびのびと授業を進められるのも性に合っているんです。毎日とても楽しいですよ」
学生から教師へと、一気に階段を駆け上がった吉村さん。すでに200人以上の教え子を持ち、やりがいを感じると話す彼女の横顔からは、達成感と充実感が溢れていた。
2000年から2001年、アメリカのインディアナ州に語学留学。2007年3月に関西外国語大学卒業後、同年5月、中国語力向上を目的に上海へ。語学学校EFマンダリンに通う。
10月から、日本語教師要請講座を開講する新幹線外国語進修学校へ。
2008年2月初めに講座を終了と同時に、学校の紹介で講師として教壇に立つようになる。
実践しながらスキルを磨く
仕事の幅が飛躍的に広がった
ご主人の上海独立に伴い、2004年に上海に来た森裕香さんは、2人のお子さんを抱えながらも現在フリーランスのデザイナーとして各方面から依頼を受け活躍している。
「元々日本では建設会社に勤めていて、写真や文章を資料にまとめるようなことをやっていたんです。でも全く基礎知識がなかったので、見よう見まねというか、自己流でしたね」
上海に来てからも、過去の仕事のことを聞きつけた友人や知り合いから、パンフレットや広告作成の依頼を受けるようになった。以前に比べ、専門知識やスキルが求められていることを感じ、昨年の5月にちゃんと学ぼうと一念発起した。
通い始めたグラフィックの講座は、レベル毎にコースが分かれており、すでに3コースまでは終了。現在は、エディトリアルデザインという4コース目を受講している。毎日の生活は目が回るほど忙しいと言う。
「デザインの勉強は、子どもが寝静まってから始めます。毎週出ている課題をやったり、依頼を受けた仕事に取り掛かったりしていると、寝るのはどうしても深夜になってしまいますね」
講座に通う前と今とで大きく変わったことは、仕事の幅が広がったこと。さらに、先生のサポートがあるため、色々な仕事に挑戦できるようになった。
森さんにとってデザイナーの仕事は、在宅で出来ることがメリットだった。さらに、日本に比べて仕事が回ってき易いため、たくさん経験を積めることが上海にいる強みだとか。仕事は先生からの紹介のほか、ご主人の仕事関係の人からの依頼、そしてこれまで担当した人からの紹介など様々。
「でも、日本にいたら多分こんな専門的なスクールにはなかなか足が向かなかったでしょうね」と意外なお言葉。その理由として、全く知識がないために気後れしてしまうことと、金額が上海とは全然違うことを挙げた森さん。
「上海だと、全くの未経験者でもちょっとしたお稽古事感覚で通えるし、受講料も日本の何分の一の世界。思い切って一歩踏み出して良かったな、と心から思っています」
元々やっていたからこそ、新たな発見がある上、実感として理解できる。
全く新しいこと始めることももちろんキャリアアップだが、森さんのように、今持っているスキルにさらに磨きをかけるという視点で挑むのも、未来を切り開く大きな一歩になる。
2004年に来海。広告やパンフレット作成を行う。2007年5月から「エッグ・グラフィックアカデミー」で週1回のペースでグラフィックのコースを受講。現在では、広告やパンフレットに加え、説明書のデザインなども手掛ける。
◇ ◇ ◇
吉村さんと森さんが最後に言った事。それは―
「もし何かやってみたいと思っている、もしくは何かをやれるチャンスがあるのなら、難しく考えずに気軽にやってみたら良いと思います」
というものだった。まずは飛び込んでみる。それこそ、電話で問い合わせてみる、体験教室に顔を出してみるなど、ほんのちょっとのアクションできることはたくさんある。その小さな最初の一歩が、結果的に5年後、もしくは10年後の未来の自分を大きく左右するのだ。
~上海ジャピオン11月14日発行号より