湯圓に700年の歴史
寧波湯圓が名をはせるまで
餡入りの白玉団子「湯圓(タンユエン)」。
その丸々とした形状から、中国では、元宵節(旧暦1月15日)に家族円満を願って皆で食べる習慣がある。
この湯圓は全国各地にあるが、取り分け名を馳せているのが、「寧波湯圓」だ。
その歴史は約700年前の宋代にまで遡る。
南宋と呼ばれたこの時代、首都は現・杭州の臨安に置かれた。
首都にほど近い寧波もこの遷都に伴って栄え、食が発展する。
当時、風変わりな1品として注目を集めたのが「寧波湯圓」だった。
特産品のもち米でこしらえた餅皮に、黒ゴマを始めとし、各種案を詰めたこの餅菓子。
人気の秘密は、「豚油」、つまりラードにあった。
寧波湯圓では、餡にラードを加えることで、成形時には餡を固形状にでき、
茹で上げた時には、ラードが溶けて黒ゴマ餡がとろり溶け出すという状態を実現したのだ。
それから数百年。20世紀初頭に登場した一軒の湯圓店が、
寧波湯圓の名前をさらに世に知らしめるのに、一役買うこととなる。
口を揃えて「缸鴨狗」
中華老字号に認定の味
その店の名前は、「缸鴨狗(ガンヤーゴウ)」。
店名は、店主・江氏の幼名「阿狗」に由来する。
江氏は、1926年、寧波城隍廟の入口にて屋台を出した。
江氏が工夫を重ねた湯圓はじわじわと人気を集め、1926年、城隍廟の繁華街に出店する。
出店には当然店名が必要だが、残念ながら江氏は無学で読み書きができなかった。
そこで思いついたのが、店名を絵とすることだった。
自分の幼名「江阿狗」を寧波語で読むと、江→缸、阿→鴨、狗→狗。
狗と鴨と甕の絵。
字を知らずとも分かるこの画期的な店名は、瞬く間に老若男女の間に広まり、商売はさらに繁盛した。
そして1993年、「缸鴨狗」は老舗の称号である「中華老字号」の認定を受ける。
さらに1997年には、中国烹?協会が「中華名小吃」と定め、浙江省が海外に初めて輸出する小吃となった。
寧波は、かつて上海から電車で4時間半かかる遠い場所だった。
しかし、2008年に杭州湾を跨ぐ「杭州湾海上大橋」が開通したことで、約2時間半に短縮された。
今週は、湯圓発祥の地を訪ねる寧波への旅を紹介する。
老舗の味を求めて
バスに揺られて2時間半
寧波へはバスが断然便利だ。
電車より本数も多く早く着ける。
元宵節に当たった2月28日(日)の早朝。
上海南客運汽車駅にて、7時40分発寧波行きのチケットを購入し、大型バスに乗り込んだ。
バスは満席に近く、定時に出発。市内を抜けて高速道路に乗り、
1時間ほど走った頃、杭州湾大橋の上海側入口「北岸」サービスエリアで10分ほど休憩。
ここでは、寧波のみやげ物を多数取り扱うほか、
おでんやチマキなどの小吃、それにレストランも併設され、小腹を満たすこともできる。
また、トイレも割りと衛生的であった。
この後、全長40㌔と世界一の長さを誇る杭州湾大橋を渡るが、曇りと濃霧で海は見えず。
いつの間にか橋を降り、予定時刻通り寧波駅に到着した。
中華老字号は今
湯圓とファーストフード
下車後、すぐに地図売りのおばさんから地図を5元で購入。
目的地の「缸鴨狗」を目指してタクシーを拾う。
タクシーの運転手に、寧波一の寧波湯圓を売る店はどこかと聞くと、予想通り「缸鴨狗じゃないかな」とのこと。
その言葉に期待が高まる。
しかし、到着した老舗は、想像とはやや異なるファーストフード風な造りだった。
湯圓は4種類。餃子などもあるようだ。
カウンター上のメニュー表には、定番の黒ゴマ餡「黒芝麻湯圓」(10個入り5元)のほか、
酒かすと卵入りの「酒?蛋圓子」(3元)や、パッションフルーツ風味の「百香果湯圓」など、
現代風にアレンジされた品もある。
老字号の伝統の味と新たな味を試すべく、「黒芝麻湯圓」と「酒?蛋圓子」を注文した。
まずは「黒芝麻湯圓」から。
寧波湯圓の特徴であるキンモクセイが、表面に散らされている。
湯気の立つ椀の中には、赤ちゃんのほっぺのようにぷっくりした、うずらの卵大の白玉。
レンゲでひとつを掬い上げ、ふぅふぅと冷まして口に運ぶ。
もちっと噛み切ると、白玉の中に包み込まれた黒ゴマの餡がとろりと溶け出し、口内に甘さが広がった。
寧波湯圓にはラードが入っているというが、油っぽさもほとんど感じなかった。
実のところ、インターネット上の評判では、
ファーストフード化してしまったこの老舗に、失望の声も少なくなかった。
しかし、最近、老舗の復興に力を入れている人々がいるという。
レジの女性が「うちは湯圓が一番よ!」とにっこり笑った。
寧波一の繁華街・城隍廟
小吃広場で湯圓に出会う
次に訪れたのは、「寧波城隍廟」。
「城隍廟」とは都市の守護神を祭る廟を指し、上海の豫園も「上海城隍廟」として知られる。
寧波の城隍廟は、1371年築。
中国各地に現存する城隍廟の中でも最大規模の1つとされている。
大小の店が立ち並ぶ道沿いは、雑貨店や伝統菓子、カラフルなキャンディ売りなど、活気が漲る。
その中に、道行く人々が次々に吸い込まれていく場所があった。
「小吃広場」と呼ばれるそこは、朱塗りの門の向こうに、数百平米の食堂が広がる。
綿飴、海鮮焼き、色とりどりのジュースに、南瓜型のマントウなど、様々な小吃が競い合うように並んでいた。
広場の入口を入るとすぐ右手に「寧波湯圓」の文字が飛び込む。
売り子のおばさんから、「元宵節要吃湯圓!」(元宵節は湯圓を食べないと!)と声をかけられ、一椀購入。
銀色の手のひら大のお玉で、大きな釜から一掬い。
そして、缶缶に入ったキンモクセイの乾燥花とザラメをそれぞれ一つまみ。
パラっと散らすと、湯気と一緒にキンモクセイの香りがふわりと立ち上った。
座席取り合戦を制し、パイプ椅子に腰をおろす。
ふと見れば、右隣の女の子も向かいのおじさんも湯圓を食べ、あちこちに笑顔が咲いていた。
名所旧跡を辿って
中国一の個人書庫
かつて、日中を結ぶ海の窓口として栄えた寧波。
現在は、経済都市として発展を続けているが、旧跡も市内各地に残る。
市中心部に残る「天一閣」もそのひとつだ。
現存する中国最古の書庫とされ、1561年、明代の進士・範欽が建設した。
現在、蔵書を除くほとんどが、博物館として開放されている。
2万6000平方㍍の敷地に、四季折々表情の異なる優美な庭園と、
蔵書数約30万冊という書庫、それに繊細な装飾を施した邸宅。
書の保存を最重要項目としていた範氏は、火に関連するものを徹底的に排除し、
建物名から庭園、家訓に至るまで、水をベースとした家作りを徹底した。
書庫の前に防火用に開墾された池にも、その名残を見ることができる。
なお、麻雀に関する展示も密かな見所。
世界の雀牌の展示や歴史の解説などを、日本語でも紹介している。
市民の憩いの場「月湖」
スワンボートでまったり
また、天一閣から徒歩5分。
寧波駅からも徒歩圏内に、市民の憩いの場として、長らく愛されている湖「月湖」がある。
三日月に似た形であることからこう呼ばれ、一帯は公園として整備されている。
緑豊かなこの公園は約1300年前に開墾された。
園内には、三国志の英雄・関羽を祀る「関帝廟」や、
天一閣を立てた範氏の兄の邸宅、寺院、茶博物館などもあり、見所が多い。
湖にはスワンボート乗り、小春日和を楽しむ市民も多数見られた。
寧波の旅のしめくくりは、寧波市民の憩いの場にて、ゆっくりとしていこう。
~上海ジャピオン3月12日号より