水滸巡礼~108の足跡~欧鵬(おうほう)

500人の山賊を率いる首領
欧鵬(おうほう)
ゆかりの地 湖北省黄岡市
あだ名 摩雲金翅
職業 軍人
宿星 地闊星

湖北省黄岡市出身。
代々軍人の家に生まれ、
自身も軍務に就いたが、
上部との折り合いが悪く、
脱走して黄門山の山賊となる。
その後、山賊の筆頭として生活していたが、
宋江と出会って梁山泊に入る。
入山後は騎兵として勇猛に闘った。

梁山泊にはばたく山賊
最後まで前線で戦う

欧鵬は、黄門山に拠を構える
山賊の長として、
仲間の蒋敬(しょうけい)らと共に、
500人もの荒くれ者たちを束ねた。
長身で逞しい体つきをしており、
重い武器を軽々と使って、
今にも飛び立ちそうな
機敏さを持つことから、
「摩雲金翅(空高く飛ぶ黄金の鳥)」
と呼ばれた。
欧鵬は軍人の家系出身で、
若い時は故郷の湖北省で、
長江の守備に当たっていた。
しかし、軍営内でしばしば上部と揉め事を起こし、
やがては出奔してしまう。
その後は、
黄門山に籠り、山賊として生きる。
そんな欧鵬の人生を変えたのが、
宋江との出会いだった。
謀反の罪で官軍に追われていた宋江を助け、
仲間の蒋敬らと共に梁山泊に加わる。
すでにその勇名が知れ渡っていた欧鵬だが、
入山後は常に、
戦の最前線に立つものの、
なぜか目立った武功を上げることができない。
山東省で起こった「祝家荘の戦い」では、
女剣士、扈三娘(こさんじょう)と一騎打ちになるが、
劣勢に立たされ、
敵将の罠にかかり落馬して負傷。
その後の方臘討伐で、
敵の放った矢を受け、
無念の戦死を遂げる。

黄岡市にある黄州赤壁。
三国時代(184~280年)の
「赤壁の戦い」(208年)の戦地と伝えられる

欧鵬が生まれた湖北省黄岡市。
同省の北部に位置するこの町は、
町の西側を長江が流れ、
農業に適した気候であることから
「魚米之郷(魚と農作物の郷)」と呼ばれる。
また、歴史文化都市としても知られ、
北宋時代の文学家、
蘇軾が詩を詠んだ東坡赤壁が有名だ。
一時は軍人から身を引き、
山賊となった欧鵬。
最後は梁山泊の一員として命を捧げたが、
彼の魂は今日も、
黄金の鳥のごとく、
この地を闊達に飛びまわっていることだろう。

同市郊外に位置する英山は、
活版印刷術の発明者、
畢昇(ひっしょう)の生まれ故郷として知られる

アクセス
上海南駅から黄州駅まで、
空調普通快速列車で約15時間半、硬座143元~

~上海ジャピオン2012年9月28日号

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